海の日

地獄で生きる

三月十一日

いろんな映画のネタバレがあります。

 

彼らが本気で編むときは、 をみてきた。きのうのはなし。好きな監督さんだったのでわくわくしながらみにいったらすごくよかった。ちょっと薄暗い感じがとても好き。あと桜のなかでお弁当食べてるところと、海のところでともさんが走って行って、そのあとでふたりが手を繋いでゆっくり歩いていくところがすごく好き。ここからもこれからも個人の感想です。桐谷さんが好きな友だちと三人でみにいったのだけれどわたしは途中まで桐谷さんが誰なのかわからなくておろおろした。わたしは原作を読んでいないので原作との違いとかは分からないのだけれどすごいよかった。あの男の子はこのあとあのお母さんだし、あの学校だし、たぶん少しつらいことになってしまうんだろうなと思ったら悲しくなってしまったし、最後にりんこさんを選ばなかったことにも少し悲しくなってしまったけれど、ほんとうにとても優しい映画だった。ほとんどのひとがみんな優しくて、でも世間の目とか学校の人たちの考えとかがつらくて、でもそんなのおかしいよなと思ったり考えさせられたりした。みんながみんな幸せになってくれればいいと思う。とくにあの男の子は中学受験するようだったしそのときに幸せになってくれればいいなと思う。さいごのところもすき。なんかすごい優しい映画だった。

あと最近みた映画のこと。告白 みました。テレビでやってて、本当は映画館で見たかったんだけどなんとなく時間が過ぎてしまっていけなかった。好きな監督さんでわくわくしながら見たんだけど原作と違って少しえっと思った。原作厨なので。でもすごいよかった。音楽も映像もすごいかっこよくて、きれいで、すごくよかった。原作読んでも映画をみてもあの電気屋じゃない方の男の子のお母さんにはすごいイライラする。

最近じゃないけど 怒り みました。もう去年の話。原作から読んだのでなんでお墓のところやらないのと思ったけれど、お弁当のところがすごい幸せで泣いてしまった。あと沖縄編がちょっと変わっててわたしは原作の方が好きなのでまたちょっと違う……と落ち込んだりもした。でもすごいよかった。松山さん編(何編だか名前を忘れました……)が幸せになりそうだったのでもうそれだけですごいよかった。ありがとうございますの気持ちです。でもお墓はちょっと悲しかった。なんべんも言っちゃうけど。この映画もきのうと同じ友だちとみにいったのだけれどそれぞれ悲しんでるところも受け取り方もなにもかも違っててなるほど、と思ったりもした。もっと前にみたのは 君の名は。 なんだけどもう最高しか言えないので最高です。前から音楽のバンドがとても好きだったので映画館で曲が流れているのを聞いただけで泣いてしまった。わたしは好きだのところでちょうどスパークルが流れているのがもう好きすぎて思い出すと泣いてしまうくらい好きなんだけどほんとうに好きです。あと この世界の片隅に もみた。つらいけれど優しい映画ですごいよかった。好きなんだけど、なんとなく嫌な思い出も一緒に思い出しちゃうようになってしまったので大声で好きとは言えなくなってしまって悲しい。つらさのなかに希望とか、未来とか、なんかその先の明るい部分が見えているのがすごく好き。大声じゃ言えないけれど。

三月九日

長文でほぼ愚痴です。

 

面接があった。地元のほうのやつ。地元、もう絶対に何があっても、万が一大丈夫ですよよろしくお願いしますって言われても行かないからねって思いながら行ったんだけど、ほんとうに最悪だった。ここまで最悪だったのはほかにないぞと思ったくらい最悪だった。面接、まず家族構成を聞かれた。まあそれは仕方ないだろうなと思ってたんだけど、そのときに祖母の話題を出されてもうだめだった。まだ「ほかに家族はいないの?」って聞かれるならよかった。わたしの家は家族が多分一般のほかの家に比べると少ないと思うから。でもなんで祖母限定なんだと思った。そしたら聞いてきた人が祖母と知り合いだったらしい。それだけならよかったのに「いつ亡くなったの?」って聞いてきてくそかって思った。くそか。なんでそんなことを言わなくちゃならないんだと思いながら答えた。ほんとうのところわたしだって思い出したくないこともあるし、そんなことを言われて平気な人もいるけどわたしは平気じゃない側だったからもうだめだった。まだ夏の始まりくらいには体調を崩すし、七月は本当にまだ何もかもがダメなのにと思って泣きそうになった。泣かなかったけど。そもそもそういうのが大丈夫ならおくすりをのむ生活はしてないと思う、知らないけど。そのあとに「お父さんは?」と聞かれた。これはまあ祖母のあとだし聞かれるかなと思ったんだけど、答えた後にそのあとの詳しいことまで聞いてきて、なんでそんなことを聞くんだと思った。仲良くなった友だちでもそんなことは聞いてこないし聞かれても答えないのにって思った。ほんとうに腹が立って知りません、と答えた。ほんとうのところあまり知らないから知らないでもあってたんだけど、失礼な人だなと思った。そもそもそんなところまで普通聞くものなの? いままでこんなことなかったからわからないけれど、普通は聞かないだろうなと思う。嫌なワイドショーのコメンテーターみたいだなと思った。あの人の領土まで勝手に踏み込んで荒らして文句言って帰っていく、みたいな。そんな感じ。わたしは家族構成を聞かれるのが本当に嫌なのでとても嫌だった。言いたくないなら言わなくてもいいですよ、って前のところの面接では言われたのにそれもなく進行していったのでびっくりした。こんなんが、こんなんが偉い人でいいのか。そもそも人の家族の言いたくないところまで聞いて何をするの? それともこれも面接に関係あることなの? あとでくそみたいなご近所のうわさみたいにするんじゃないの? といろいろ考えてしまった。真相は知らないし知りたくもない。でももしかしたらどこかの家庭のいつかの夕食のちょっとした話題提供になっているかもしれない。ほんとうに最悪。そのあとももうだめだった。わたしはもうだめだかえりたいと思いながら答えてたんだけど、そのあとも辛すぎて足は震えるしなんかもうやるせなくなった。権力があればぶん殴って帰ったけどわたしには権力がないのでどうすることもできなかった。悔しい。そうそのあと。そのあと、なんで志望したかとか将来とかのお話をしたら「普通学級の子どもにももっと目を向けてやって、もっと視野を広くしてさあ」と言われた。個人的に普通学級っていう呼び名が嫌いなのでなにそれ、って思った。じゃあその学級以外の人は普通じゃないんか、みたいな。でも通常学級もほぼほぼおんなじ意味だろうしなんていえばいいかわからないでもいるのだけどそれはまあよくて、それ以上になんだこの人はと思った。わたしにも非があるとは思うけれど、それにしたってその言い方はないと思う。わたしだってわたしなりに目を向けているし、今いるのはまさにその学級だし、こちらのことも知らないで、と思った。何も知らないくせに高いところから見下ろしやがって。ほんとうに腹が立つ。別に自分のいきたい学級選んで何が悪いんだ。お前のものさしで人をはかるな、と思った。なんだかほかにもいろいろあったはずなのに忘れてしまった。たぶん後からじわじわ思い出して嫌な気持ちになるんだと思う。最悪だ。最悪だったし、嫌な気持ちにもなったし、落ち込みもした。語彙があればもっとののしっていたけれど最近は本当に言葉が出ないので何も言えなかった。悔しい。ただただ悔しかった。がんばらないと。

三月五日

夜明けのまちが好き。あと夜明けと、夜の空港も好き。母が旅行好きだったので小学生のころよく連れて行ってもらっていたのだけれど、その中で一番覚えているのは空港に向かうまでのバスだ。次点で朝の飛行機から見える滑走路。空港には朝早い、四時発のバスで向かっていた。六時とか七時とかの飛行機にのるから。電車じゃ間に合わないのだ。そのバスの中で夜中がだんだん朝になっていくのを見ていた。四時のバスに乗るには最低でも三時には起きなくちゃならないのでとても眠かったのだけれど、それでもその景色が見たくて頑張って起きていた。朝になりかけのまだ夜中の空気の中で、バスの窓から見える東京タワーが光っているのを見るのが好きだった。それだけのために旅行に行きたいくらいは好き。今でももずっと。あと朝の空港も好き。あのお店がほとんど何も開いていないけれど、これから何かが始まるという気がするからわくわくする。空港はなんでも好き。飛行機も。離陸するときと、着陸するときに見えるあの小さな光の点線が好き。朝はもう忘れてしまったけれど、夜の光の点線は本当にきれいでびっくりした。飛行機の中でもってた楽しさみたいなものと、すこし不安みたいなものが混ざり合った感情も好きだ。旅行に行きたい。沖縄とか、鹿児島とかに。

昨日と今日は二日間とも出かけた。昨日は母と、今日は友だちと。お休みの日の二日間とも出かけるのは久しぶりのことだったので少し疲れてしまったけれど、とても楽しかった。楽しかったせいで不安になるくらいは楽しかった。楽しいと不安になるのでそこそこの楽しさがいい。前にその話をおいしゃさまにしたら「それはどういうことですか」と言われたことがある。たぶん普通の、なんともないひととはすこし違うのかもしれないとそのとき思った。わたしもなんともない人なのだけど、なんともあるのかもしれない。昔はなかった気持ちだと思うから、高校生くらいの時から出てきたんだと思う。よくわからない。よくわからない気持ちばかりある。

三月三日

仕事が決まった。仮ではない。前仮だったところじゃないところに決まった。よくわからないけれどなんかそうなってしまったし、でも来年の更新はわからないって言われたからもう心が折れそう。今年こそ試験は受けるけど多分受からないからどうしたらいいんだろうなって考えてる。でもこんどは前仮だったところの面接もある。多分こっちはお断りをすると思う。仮だったのは地元だったんだけど、地元のほうは、中学生のときに大嫌いだった先生がまだいると聞いて一瞬で嫌になった。中学校の先生の中で好きだった先生は一人しかいないのだけど、その先生は地元ではないどこかへ行ってしまったみたいだ。よく知らない。中学校はその一人の先生以外全員嫌いだった。えこひいきと自分勝手が蔓延していたし、大人なんて、先生はくそだと思った。そう思ったまま高校へ行って、高校の先生はここまで優しいのかとびっくりしたくらい中学校の先生は嫌な人ばかりだった。わたしも嫌な生徒だったかもしれないし、何の記憶にも残らない生徒だったかもしれないけれど、それにしたって嫌です!と大声で言えるくらい嫌いだったし嫌だった。今でもそう。ついこの間までどうか幸せにならないでくれと思ってたくらいには担任の先生も、その周辺の先生も嫌いだ。なので地元には行きたくない気持ちしかない。まだ採用になってないけど、嫌な気持ちしかないし、悪口しか出てこない。小学校の記憶はほとんどないのであまり言えないけれど、嫌いな先生が一人いた。小学校は担任の先生以外あんまりかかわらないからそのほかはよく知らない。でも嫌だった記憶はあるから、多分相当嫌いだったんだと思う。えこひいきをする先生だった。それはよく覚えている。えこひいきをされない側だったから。先生が嫌いなのに、そもそも学校が嫌いなのになんでこの仕事をしているのかは資格があるから、なんだけど、本当に先生は今も苦手だ。そもそも学校が楽しいと思っているのが不思議だ。わたしが学校行事という行事のすべてが嫌いだったし、学校という入れ物自体好きではなかったからそう思ってしまうことは重々承知なんだけど、それにしたって不思議すぎる。学校に関しては悪口と嫌な記憶しかない。がんばらねば。

二月二十四日

仕事が決まった。仮だけれど。地元に申し込んだらその日のうちに電話がかかってきた。なるほど、と思う。やはり資格を持っていると有利なのだなとも。あんなに嫌だったけれど、と言うか今も嫌で嫌で仕方がないけれど、この職種ではこうも楽なのかと思った。あと、クビになった職場からの紹介で違うところの今と同じ職種の面接もある。こっちは正直行きたくない。もうお断りの電話をかけてもいいくらいの気持ちでいる。そもそも言うならもっと早く言えと思う。いちいち言うのが遅いのだ。わたしが最高に希望していた職場の締め切りは今月の頭だった。そもそも更新は絶対されるからと言われたのでいやいや申し込んだのにこのざまか、と思う。だったら最初から希望していた職場に申し込んだのになあ、と思う。「なんだかいいように使われちゃったね」と母に言われたが、その通りだなと思った。あんなに人が少ないと言っていたのに。ただ就業時間をすぎたのに居残りでおばさんたちのおしゃべりに付き合わなければならないのがなくなると思うとせいせいする。今日も仕事は嫌なことばかりだったけれど、それも三月で終わると思うと大丈夫になった。すごいね。四月からはまた違うところになる予定だ。がんばらねば

二月二十三日

仕事をクビになった。ちゃんというと更新されないことになった。今の仕事は更新制で三月に更新が切れるんだけどそこで切れた。理由を聞いたらもっといい人が取れたから、だそうで。いっそ、なんでわたしなんですか、もっと他にもいっぱい人いたじゃないですか、わたしよりも後に来た人だって経験のない人だっていたじゃないですか、その人は来年も更新されるんですか?不公平じゃないですか?って言おうとしたけどやめた。そうするとなんだかわたしが負けたみたいになるから、それって無職になるってことですか?勤務態度が悪いってことですか?って聞いた。そうじゃない、もっと経験の深い人が来たからだと思うと言われた。思うってなんだとおもうけど、きっと向こうも上から言われたことを伝えているだけなんだから仕方ないと思った。なんだか次の仕事一緒に探そうか、と言われたけどなんてことを言うんだと思ってしまった。そう言うのが一番嫌いだ。うわべだけ優しくしようという気持ちが見えている気がするから嫌いだ。それよりも、仕事の更新をされなかったことになんとなくがっかりしている自分が嫌だ。気持ちがわるい。あんなに嫌だったのにいざなくなるとこんなふうになるのかと思った。ああやだめんどうくさいとおもっていたのに。そもそもこんな時期に言われたって次の仕事なんて見つかるはずがないのだ。だってもうほとんどしめきっているのに。何を考えているんだ、何の恨みがあるんだ、と余計なことばかり考えて、最終的にやっぱりわたしは嫌われているんだというところにいきつく。

そうなのだ。最近はまわりがみんなわたしのことを嫌っているように感じている。多分そうなんだけど特に一緒の部屋にいる人はすごいそう感じる。わたしの精神面にも問題はあるけれど、気にしすぎと言われたけれど、そんなことを言われたってそうなんだからしょうがないし、そもそもそういうことに無頓着なら最初からおくすりをのむ生活をしなくていい人になっているはずだと思う。前よりも口調が荒くなった、冷たくなった、無視をされることが増えた、イライラをぶつけられている気もする、ため息が増えた。わたしの気にしすぎなのかもしれないけれどそういうところがある。原因はわたしにあることはわかっている。その原因がなんなのかも多分わかっている。でもそれはどうすることもできない。ここ最近はほんとにそう。みんなが私の悪口を言っている気がする、仕事上早く帰るんだけどそのあとに悪口を言われているように思う。もうだめかもしれない。

二月二十一日

仕事で嫌なことがあった。仕事でいいことなんてほとんどないから日常といえば日常なんだけどそれにしたって嫌なことだった。いっそ泣いてしまおうかと思ったけど仕事中で、トイレにも駆け込めなかったからやめた。ぎりぎりで泣かずにいたけれど泣いてしまったほうが良かったかもしれない。なんともないふりをしたけれどいまになってじわじわきている。なんともないわけがなかったんだと思う。なんともあった。なんで私がこんなことしなければいけないんだろう、なんで私が、なんで私がって延々考えながら仕事をしていた。前もこんなようなことがあったような気がする。前の職場のほうが放任だったので良かった。今の職場は良くも悪くも関わりすぎている。わたしは何も言われたくないしなにも関わってほしくないし、特に家庭のことについてはやめてほしいと思っているんだけどそこにまで入り込んで何か文句を言って出ていくような人ばかりだ。よくない。この職場がおかしいのか前の職場がおかしいのか、今の職場が普通なのかわからないけれどとにかく嫌だ。こんな嫌なことがあと何日も続く。めんどうくさい。