海の日

地獄で生きる

五月二十五日

最近は同人イベントに出るので毎日文字を書いています。文字を書くことはすきだけれどどうしても自分の中にある気持ちがごちゃごちゃになってしまうのでとても苦しいです。でもすきなのでまた書いてしまう。自分のことなのに自分のことがまったくよくわからない。あと今回はイベントに出るのでどうしても「ひとにみせる」ということが付きまとっているのでとても苦しいのです。ひとに自分でつくったものを見せるということが高校生のときにどうしてもだめになってしまって、でもインターネットにあげることは大丈夫になってきて、それからしばらくして誰も友だちがいないところで出すのは平気になったのだけれど、今回はフォロワ―さんもいるので心が苦しいです。こんなものを、と思ってしまうのです。そのたびに同人誌は自己満足、と思うのですがどうしたってうまくいかない。わたしのなかにいるわたしを人に見せているような気がしてどうしたって恥ずかしいのです。どうしたって慣れない。高校生のときからわたしはずっとわたしのままで、なにひとつ変われていないんだなあということを再認識してしまうのです。

最近はわたしと同じ誕生日の同級生のおなかのなかにあかちゃんがいる、と言うことを聞いたのでどうしたってこころが落ち着かない。焦っているわけではなくて、みんながみんなどこか遠いところに行ってしまう気がして、どうしてもさみしい気持ちになってしまうのです。その同じ誕生日の同級生の子とは小学六年生のときにすこしだけ仲がよかっただけなのであんまり接点はないのに、なぜかとても悲しい気持ちになってしまうのです。わたしはまだわたしのことを18歳か、よくて20歳だと思っているので、現実とうまく折り合いがつけられないのかもしれないなあ、と最近思うようになりました。みんな結婚してどこか遠いところに行ってしまうのがとてもさみしい。まだみんなで放課後の教室でいろんな話をしていたいし、りぼんとかちゃおとかなかよしのふろくとかマンガとかのことをしゃべっていたいです。でももうそんなことはできなくて、みんな新しい家族や人間関係をつくっていっているし、もちろんわたしも新しい人間関係をつくっているわけなんだけど、でも、どうしたってこころのなかに空洞ができたようになってしまうのです。まったくやんなっちゃう。現実で生きるのは向いていないんだと思います。これは同じ誕生日の同級生が、と言うわけでは全然なくて、たまたまともだちにすすめられて婚活アプリもやり始めたんだけど、世の中の人はこんな会話を平気で出来るのか、すごいな、という感想しか出てこないです。友だちでも身内でも知り合いでもない人間に向ける感情がたぶんしんでしまっているんだろうな、と思ってしまうくらいまったく感情が動かないのです。みんなすごいな。がんばらねば。つづく