海の日

地獄で生きる

死ぬなら夏がいい

仕事を辞めた。今は年休消化中で、六月からは無職になる。やっぱりわたしは学校現場というところに向いていないみたいで、ずっと泣きながら仕事をして、仕事が終わった後も泣いて、なんやかんや泣いてばかりだったなと思った。でもそれは今わたしが安全な場所にいるからそう感じられるのであって、仕事をしているときはもうなにがなんだかわからなかった。おくすりをのんで、仕事をして、泣いて、お腹を壊して、ねむって、仕事をする。その繰り返しだった。仕事のことはもうほとんど覚えていない。わたしは27年人間をやっているのだけれど、そのなかで辛いこととほんとうに嫌なことはほとんど忘れてしまうという技術を手に入れた。逆を言うとそれしか手に入れられなかったのでわたしの記憶は虫食い状態でほぼ覚えていない。なにせ普通のときも忘れてしまうのだ。写真にとると覚えていられることが多い。でも写真にとらないので覚えていられない。たぶんなにか障がいがあるのかもしれない。でも調べていないのでわからないままでいる。それでいい。

死ぬなら夏がいいというのはずっと思っていることで、わたしは夏が好きなので死ぬなら夏がいい。できれば8月のとても暑い日がいいと思う。夏に死ぬと大変なことはおばあちゃんのときに知ったのだけれど、それでも夏に死にたい。今すぐには死にたくなくて、できればあと50年後くらいに死にたい。

今回仕事を辞めるにあたって、いつも行っている精神病院の人たちから「死なないでね」と言われる回数が増えてしまった。そんなに死にそうに見えたのかとも思うんだけど、死ぬなら夏がいいと思ってしまうくらいには死のことを考えているのかもしれない。今わたしは死ととても近いところにいるのかもしれない。そんなことを考えて、でもやっぱりそんなことはないかも、と思うというのを繰り返している。よくわからない。こんなことってある? 最近はわたしの感情に対して、ほんとうにこんなことってあるの? と思うことが多すぎてびっくりする。わたしなのにわたしのことがわからなくって、わたしはわたしなのかよくわからない。わたしはわたしなのだけれど、それがほんとうなのかわからないのだ。たぶんこれは精神疾患のなにかなんだろう。けれどそれをうまく言葉にすることができない。もどかしいような悲しいような不思議な気持ちになる。人間30年目にはわかってるといいな。つづく