海の日

地獄で生きる

五月三十一日

最近は仕事を辞めたので家にいるときは寝ているとか、ぼんやりツイッターで嫌いな人のツイートを遡って見るとか、そういう意地の悪いことをしている。意地が悪いというのは自分でもわかっているけれどやめられない。意地の悪いことは楽しい。でもおんなじくらい悲しくなる。今日も嫌いな人のツイートを遡って見てしまった。そういうのがいけないんだと思う。いっそ鍵をかけてくれればいいのだけれどと思うのだけれどそんなことを望んでも仕方がない。わたしはその子のことをフォローしていないし、その子もわたしのことをフォローしていない。フォローされたらきっとわたしはより一層性格が悪くなるだろうからしないでほしい。きっと向こうはわたしに興味がないということは重々承知の上でこの文字を書いています。わたしだけがずっと過去に憑りつかれている。

ここ数日はほんとうにいろんなことがあったし、いろんなほんとうのことをしゃべったと思う。それで気づいたのはわたしの周りには優しい人が多すぎるし、わたしは優しい世界で生きているんだなあということだった。優し世界で生きているのにこんなに性格が悪くていいのだろうかと思うけれどそれはもう性根が腐っているので仕方がない。でもわたしも優しい人になりたいと思う。せめてもらった優しさを同じように返したいと思う。それができるかはわかんないんだけど。

夜になるといつもなんとなく不安になる。これでよかったのかなとか、仕事を辞めたのは果たして正解だったのだろうかとか、そんな答えが出ないようなことをぐるぐると考えてしまう。仕事はあのときのわたしはもう辞めるしか選択肢がなくて、子どものことも全然考えられなくて、他の事務仕事のこともやらなくちゃいけない仕事のことも全部全部投げ出したかったんだと思う。でも今思えば一週間だけ休んで、それから仕事に行ってもよかったのかな、とか、午後だけ帰る、みたいな仕事環境でもよかったのかな、とか、いろんな選ばれなかった選択肢のことを考えてしまう。でもそれは安全な位置にいる今のわたしだから考えられることで、ほんとうはきっとそのどれもを試したところで辞めていたのかもしれないなと思った。結局のとこほんとうのことはひとつもわからなくて、でも、それでいいのかもしれない。わからないほうがいいと思う。

なんとなく不安な気持ちの正体は自分でわかっているのでそれの対処法もわかってはいるんだけどなんとなくうまくいかない。いっそ実家に戻ろうかとも思ったのだけれど、でも、わたしはわたしハウスにいたいのでまだいるけれど、どっちが正しいんだろうか。きっとどっちも正しくてどっちも間違っているのかもしれない。わたしにはもうなにもわからなくなってしまった。つづく。