海の日

地獄で生きる

六月二十三日

わたしが自分の手首を切り始めたのは12歳くらいで、精神安定剤を飲み始めたのは22歳の夏からだった。手首を切っていたときのことはもうほとんど覚えていなくて、なんでそんなことをしていたのかもわからないけれど、今も時々気を抜くと切ってしまいそうになる。でもわたしはもうおとななのでそんなことはできない。手首の傷跡についてなにか言われても「昔いろいろあったんです」と笑って言えるくらいにはならなくてはならない。わたしはもう大人なのでそうしなくちゃいけない。

わたしはわたしのことをずっと22歳だと思っている。ほんとうはもう27歳のはずだ。なんで27歳なのに22歳だと思ってしまうのか、その理由がずっとわからなくて、でも今日、ふと「もしかしたら、精神安定剤を飲みだしたのが22歳だったからそう思ってしまうのではないか」とわかった。その前からずっと精神疾患の疑いはあった。手首とか腕とか足とかを切っていたし、ヒステリーを起こしていたし。でも病院には行かなかった。わたしはまだ大丈夫だと思っていたから。家族も特になにか言うことはしなかった。病院に連れていかれることもしなかったし、なにか手当をしてもらった記憶もないし、なにか言われた記憶もない。わたしの家は放任主義というか、お互いのプライバシーを尊重しすぎる家族だったからそうなったのかもしれない。そのことについてとやかく文句を言う資格はわたしにはないので黙っているし、このあともずっと黙ったままでいると思う。

とにかく22歳の夏にわたしははじめて病院に行った。六月だった。病院の待合室はなにかよくわからないクラシックの音楽が流れていて、名前じゃなく番号で呼ばれていた。わたしも番号の書かれた厚紙を持って音の出ていないテレビをじっと見ていたことを覚えている。22歳になったわたしは大学を卒業して、ひとり暮らしをしながら働いていた。すべてがうまくいくと思っていた。でも実際はうまくいかなくて、ご飯が食べれなくなってねむれなくなってしまっていた。手首を切ってなんとか生きながらえているような状況だった。もうだめだと思って、でもこのまま死ぬくらいならと思ってなんとか実家に電話をして、病院に連れて行ってもらった。わたしはひとりで病院に行くことさえもできなかった。病院に行くという感覚がなかったのだ。熱が出れば病院に行くし、けがをすれば手当てをするけれど、ご飯を食べれなくてねむれなくて手首を切るような人間はどうすればいいかわからなかったのだ。自分のことを棚に上げてしまえば、たぶんこれはきっと12歳のわたしが病院に連れていかれなかったから、どうすればいいのかわからなかったのかもしれなかった。でもそれは予想でしかない。もう22歳のわたしがなんで自分で病院に行かなかったのかはわからない。怖かったのかもしれない。

それから数種類のお薬をもらって今に至るけれど、いまだにわたしは自分の年齢がわからない。どうしても自分の年齢が22歳の気がしてしまう。この前も23歳の子がいます、と言われたときに、とっさに歳が近くていいなと思ってしまった。ほんとうはわたしともうよっつも離れている。22歳からいろいろあったことも覚えている。嫌なことも楽しかったことも嬉しかったことも悔しかったことも全部あった。なのになぜかわたしはわたしの年齢を22歳だと思っている。たぶんこれからもずっと22歳だと思って生きていくんだと思う。つづく