海の日

地獄で生きる

十二月一日

今日はいつもは使わない道を使った。その道はわたしが通っていた高校への道で、使うたびに高校生のときの思い出がよみがえってくるのであえて使わないようにしていたのだけど、今日は時間の都合でその道を使ってしまったのだ。

わたしが通っていた高校はちゃんとあるけれど、わたしが着ていた制服はもうない。卒業して二、三年後に、わたしが通っていたときからぼんやりとあった「制服を現代に合わせたものに変えよう」という運動が本格始動して変わったらしい。どうせならわたしが通っていたときに変わってくれたらなあ、と思ったけれど、制服で選んだ高校じゃないのですぐに「まあいいか」という気持ちに変化した。それでも、わたしの着たことのない制服で、三年間通っていた道を歩く彼女たちに「いいなあ」と思わないわけではない。わたしが着ることができなかったプリーツスカートの制服はとてもかわいいものだった。

そんな彼女たちのことを見て、わたしは、最近まで自分で自分のことを「かわいいはわたしには似合わないから避けておこう」と呪ってたなあ、ということに気がついた。正確には彼女たちをみたから気がついたわけではないのだろう。その前にやっていた精神科での検査がきっかけだったかもしれないし、もともと蓄積されていたものがふと溢れたのかもしれないんだけど、とにかく長い間わたしはその呪いに囚われ続けていた。その呪いの話です。

自分の幼いころのアルバムを見たことがあって、そこにいたわたしはすべて髪の毛が短かった。それはわたしの家族の趣味で、わたしの髪の毛が肩につくくらいになると近所の個人でやっているおばあちゃんの知り合いの美容院に連れていかれていた。身長が他の子よりも大きいこともあったせいか、幼いころのわたしは「かわいい系」の洋服を着ている写真があまりない。小学一、二年生のときにお母さんと旅行した際に、男の子と間違えられたこともある。そんなことがあったからかどうなのか、わたしは「かわいい」を選ぶことはあんまりなかった。好きな色は青。髪の毛はずっと短くして、洋服に興味はない。

それが変わったのは中学生くらいのときで、わたしははじめて髪の毛を伸ばした。家族からは不評で、「短くしろ」だの「長いのは似合わない」だの言われていた。色付きのリップを初めて買ったときも、「やめろ」と言われ、高校生のときに買ったマスカラは家族に見せず、知られないように出先で使っていた。

わたしは長い髪の毛に憧れていた。でもわたしに似合わないと思っていた。それでも伸ばしてみたかった。そんなことを思いながら中学校の同級生が誰もいない高校に入学して少したったときに、同じクラスの同級生が読んでいたロリィタやゴシック、パンク系のファッション誌を見て、わたしの求める「すき」はこれだ、と思った。高校から駅までの道にある本屋さんでその雑誌を買い、自宅に帰ってから読んだ。その雑誌に載っているものすべてがはじめて見るもので、パステルカラーの洋服たちはすべてかわいかった。わたしはその雑誌の中の「ロリィタ」がすきで、そのなかでも「甘ロリ」がすきなのだとわかっていた。けれどそれを高校生のときに人に言ったことはない。その雑誌を見せてくれた同級生にも言っていない。

わたしには似合わないと思ったのだ。そのお洋服たちに、わたしはふさわしくない気がした。

雑誌の中でロリィタ服を着ていたモデルさんたちは、みんな身長がちいさくてかわいくて、髪の毛が長かった。わたしと真逆な人たちだ。次の日、同級生に「どうだった?」と聞かれて、わたしは「パンク系が好き」と答えていた。それからずっと、わたしはわたしに呪いをかけ続けていた。洋服は白か黒。持ち物も、時々耐えきれずにかわいいものを持つけれど、基本はかわいいに振り切れていないものを持っていた。

大学生になって、呪いはすこし薄れて森ガールのお洋服を着ることができたけれど、それでもいちばん好きなお洋服は淡いピンクや水色などの甘ロリ系のお洋服のままだった。欲しいお洋服はいくらでもあったのだけれど、そのお洋服に「ふさわしくない」わたしがお洋服屋さんに行って店員さんに変な目で見られたらどうしようという気持ちがずっとあって、行けるのに行けない状態だった。

それでも生活をするうちに呪いはまたもうすこし薄まって、わたしははじめてロリィタ服をお迎えすることができた。少しずつわたしはわたしの呪いを解いている。それでも呪いはまだあったので、お迎えしたお洋服は淡いピンクでも水色でもなくて、茶色のお洋服だった。店員さんは優しくて、明らかに場違いなわたしに対してもていねいに教えてくれたけれど、それでもすきな色をすきとは言えずに終わった。茶色も好きな色ではあるけれど、いちばんではない。それでも初めてのお洋服は嬉しくて、何枚も写真を撮った。何回も部屋で試着をして、少ないお洋服の中で何とかコーデを考えていた。

楽しかった。少しずつ世界に許されているような気がした。それからお迎えしたお洋服を着て出かけるまで長い時間がかかるのだけれど、はじめて出かけたとき、知らないすれ違っただけのおばあちゃんに「かわいいね」と言われたことで、またすこし呪いは薄くなったと思う。それでもまだピンクをお迎えすることはできなかった。好きな色を聞かれて、いちばん好きな「薄いピンク色」ではなくて、好きなキャラのイメージカラーを答えていた。

でも着実に呪いは薄くなって、知らないおばあちゃんに言われたこともあってか、わたしは車を買うときにいろんな理由をつけてピンク色にすることができた。このときも家族には反対されたけれど、自分の意思を通すことができた。時々だけれど、前よりも多い頻度でロリィタ服を着て出かけることができるようになった。もうその頃にはわたしの洋服やら化粧やら髪の毛やらに家族もなにも言わなくなって、わたしの世界は昔よりもだいぶわたしが生きやすい世界に変わっていった。世の中も髪の毛が短いロリィタさんや身長の高いロリィタさんが多くなったのも関係していると思う。

そうやって薄くなっていった呪いだけれど、わたしが正直に目の前の人間に対して「好きな色は薄いピンク」と言えたのは今年の十月末くらいのことで、それまで長々わたしはわたしの呪いに苦しめられていた。薄いピンクと水色のお洋服をお迎えできたのは去年のことで、水色のお洋服は着ることができたけれど薄いピンクのお洋服はまだ着ることができていない。それでもロリィタではないお洋服で、くすんだピンクのお洋服を着ることはできた。これから薄いピンクのお洋服を着ることができるのかはわからないけれど、それでもかわいいものを堂々と持てるようになったのはとても嬉しいことだと思う。つづく。