子どもが無事に産まれました。育児において夜にミルクをあげたりオムツを変えたりすることを育児アカウント界隈では夜勤というらしいのですが、今は夜勤の途中です。夜勤はみんな寝られないことが大変だと言っていて、わたしも例に漏れず寝られないのですが『実家に冷房がないために夏の間は暑すぎて眠れず、ようやく涼しくなってきた朝四時くらいからすこしだけねむって七時に起き学校に行く』という、いやこれ絶対に虐待じゃないんか? という生活を中学生のときから家を出るまで強いられていたので「夜に起きる」というシステムを組み込めばわりと楽に夜勤をしています。けれどここで「子も寝てるな~?」と仮眠をとるとその後がずっとねむくなるので、朝の四時まではなんとか起きていないといけません。けれどあまり苦ではなく、ずっと夏場の実家で朝四時頃睡眠をしていたためなのか、朝の四時ごろになると電池が切れたように寝落ちます。その後は夫が起きてあれこれをしてくれるので、完全に実家の夏という感じです。実家の最悪な暮らしが役に立つこともあるんだな~と思いました。だからって感謝は絶対しないんですけど…虐待なので……
子が産まれて、お手本のような精神疾患のわたしは次の日から夜になると勝手に涙が出てしまいこの世のすべてに絶望して不安になり辛くなる、という典型的なマタニティブルーズになりました。教科書通りのお手本のような人間です。今までのこともあり、これは先手を打っておかないと産後鬱コースまっしぐらだな~と思い、入院中から安定剤を飲んでなんとか産後鬱にならないコースにしています。精神疾患は大変だな~と他人事のように感じながら、まあこれでコースずらしても程度の差はあれど産後鬱にはなるんだろうな……という気持ちもあります。今も夜になると薬が手放せないので、元々PMSと精神疾患同時発動していた人間はつらいな……と毎晩お風呂で泣きながら考えています。
けれどまあお子はかわいく、こちらのいろいろな細かな心配もあれど今のところはミルクも飲むし排泄もできるし大丈夫という感じなので運がいいなと思いました。出産も妊娠もぜんぶ運だと思っているので、さすが人生を運だけで生き延びている人間だなと思います。けれどやっぱり薬を飲んでもどうしてもままならないこともあり、そのときはどうしたってやるせない気持ちになります。以前バキ童さんのお悩み相談で「なぐる」と「どなる」のコマンドがあるという話を読んだのですが、わたしにも「なぐる」というコマンドがあるはずなので、それがもしお子に向いてしまったらどうしようという不安がずっとあります。幸いにも、今は子が泣き止まずどうしたらいいのかわからないときに「なぐる」のコマンドは出てこないのですが、そのかわりに「じし」というコマンドが常にちらついています。そういうときはもう「はやくしにたいな~」と思うのですが、個人的には子に対して「なぐる」が出ていないので満点ではあります。たとえ「じし」のコマンドが出たとしても、ある程度の元気がないとこのコマンドは発動しないのでまあ大丈夫だからです。でもまあ「じし」のコマンドはあるし「じしょう」のコマンドもあるのでいつそれが発動するのかな、と思っています。実際に「じしょう」のコマンドは何度か発動しそうになり、今は環境変化や疲労で出たのであろうかゆみのある蕁麻疹を放置してかゆいときに血が出るまでかきこわして痛みを感じて「じしょう」のかわりにしています。よくはないんだけど精神安定にはいいことなので許されたいです。これで安定剤のODになったら子に対してのなにかがありそうなのでこれくらいがいいなとも思います。
けれど、なくていいコマンドと「子がかわいい」という回復感情だけでは生活できず、子が産まれたことにより様々な人間と関わらなくてはいけなくなりました。今の基本は義実家と実母だけですが、それだけでももう「じし」のコマンドが発動するレベルです。子は「かわいい」という回復アイテムをくれますが、義実家は「じし」の圧がかかるのみで「かわいい」も「たすかる」もくれません。なにも回復させてくれないのなら関わらないでほしいのですが、そうもいかないらしく「初孫だから」というアホみたいな理由でわたしの「じし」のパワーをあげてきます。いっそ「しっそう」を発動してやろうか? とも思います。
それもこれも、実家はスラムで虐待フルコンボ家庭だったのですが、母親の謎のこだわりにより「子どもに対して洗脳も虐待もするけれどプライバシーの線引きはしっかりする」という謎のプライバシー保護があり、個人のクローゼットやタンスは開けない、着ている服に対しての言及はしない、わたしにきた手紙に対しては内容を聞かずに渡すという行為がありました。そのおかげかどうなのかわかりませんが、わたしの中で個人が育ちすぎてしまったのです。なので義母が子をなにも言わず勝手に抱き上げてあやしたり、保護者や子の意思を聞かずに義妹に「抱っこする?」と聞いたり、義妹が義母に対して「おばあちゃんになれてよかったね」と言う発言を許容できない人間になりました。「おばあちゃんになれてよかったね」という発言は今後一生許せないんですが、子は誰かを喜ばせるために産まれたわけではなく、百歩譲っても喜ばせるためなら両親であると思うので、祖母になったとはいえわたしにとってはなんにも関係のないそこらへんの人間のために産んだわけではないのです。しないですが、夫と離婚したらそれこそ他人でしかありません。それこそ「おばあちゃんになれてよかったね」なんていう言葉は子の個人を尊重されない最悪の発言なのですが、そういったことがなにも考えず言えてしまい、その発言をなんの疑問も持たず受け入れられる人間ってすごいな~と思います。子は誰のものではなく、そもそもものではないのですが、いたしかたなくものと仮定するならば、ひとりで生きていけない時期は保護者がある程度見守りやお世話をするので保護者のもの、と言っても多少は仕方がないのかもしれませんが(個人的には許せないけれども)、子は子と言う人間のものなんだよな~と思いました。赤子、もしくは子どもや孫を個人として考えられない人間って気持ち悪いな~と思います。実母も産まれたという報告をしたときに「ありがとう」と言ってきたので「そちらのために産んだわけじゃなく、わたしは子を子として産んだだけなので「ありがとう」という言葉は間違っています」ということを出産直後に言いました。短気の人間は即キレられるのでこういうときには便利です。でもさすがに義母に対してそれをとっさに言える人間ではなかったためにこうしてインターネットに長文の愚痴を書いているのですが、基本は短気なので次にこういうことがあったらさすがに「そんなことないですね~」と言えるように頑張りたいです。
あとはまあ、子を産むと言われる「二人目は?」「母乳? ミルク?」という言葉もそこそこのダメージを受けるのですが、これに関しては「体外なのでそのうち戻しますかね~」と「精神薬飲んでるので完ミですね~」でなんとか乗り切っていきたいと思います。クソカスなことを言ってくる人にはそれ相当の発言を返さないと気が済まない人間なんだと思います。というか「子どもは?」と聞いてくる人間たち、聞いた相手が不妊治療何年もやってたり子どもができない体質だったり子無しと決めている夫婦だったり過去になにかあって子を亡くしていたり、それ以外にも理由があって子どもがいないということに思い至らないのはなんなんですかね。わたしは子ども関係のことを聞いてくる人間たちは総じて人の家庭の性事情を知りたがる気持ち悪い人間どもだと思っているので元々嫌いなんですけど、子どもを産んでから余計に嫌いになりました。よくそういう他人のデリケートなところに首を突っ込めるなと思います。何の責任も持たない他人のくせに。これでインターネット吐き出し愚痴終わりです。つづく。