海の日

地獄で生きる

二月二十六日

子どもが無事に産まれました。育児において夜にミルクをあげたりオムツを変えたりすることを育児アカウント界隈では夜勤というらしいのですが、今は夜勤の途中です。夜勤はみんな寝られないことが大変だと言っていて、わたしも例に漏れず寝られないのですが『実家に冷房がないために夏の間は暑すぎて眠れず、ようやく涼しくなってきた朝四時くらいからすこしだけねむって七時に起き学校に行く』という、いやこれ絶対に虐待じゃないんか? という生活を中学生のときから家を出るまで強いられていたので「夜に起きる」というシステムを組み込めばわりと楽に夜勤をしています。けれどここで「子も寝てるな~?」と仮眠をとるとその後がずっとねむくなるので、朝の四時まではなんとか起きていないといけません。けれどあまり苦ではなく、ずっと夏場の実家で朝四時頃睡眠をしていたためなのか、朝の四時ごろになると電池が切れたように寝落ちます。その後は夫が起きてあれこれをしてくれるので、完全に実家の夏という感じです。実家の最悪な暮らしが役に立つこともあるんだな~と思いました。だからって感謝は絶対しないんですけど…虐待なので……

子が産まれて、お手本のような精神疾患のわたしは次の日から夜になると勝手に涙が出てしまいこの世のすべてに絶望して不安になり辛くなる、という典型的なマタニティブルーズになりました。教科書通りのお手本のような人間です。今までのこともあり、これは先手を打っておかないと産後鬱コースまっしぐらだな~と思い、入院中から安定剤を飲んでなんとか産後鬱にならないコースにしています。精神疾患は大変だな~と他人事のように感じながら、まあこれでコースずらしても程度の差はあれど産後鬱にはなるんだろうな……という気持ちもあります。今も夜になると薬が手放せないので、元々PMS精神疾患同時発動していた人間はつらいな……と毎晩お風呂で泣きながら考えています。

けれどまあお子はかわいく、こちらのいろいろな細かな心配もあれど今のところはミルクも飲むし排泄もできるし大丈夫という感じなので運がいいなと思いました。出産も妊娠もぜんぶ運だと思っているので、さすが人生を運だけで生き延びている人間だなと思います。けれどやっぱり薬を飲んでもどうしてもままならないこともあり、そのときはどうしたってやるせない気持ちになります。以前バキ童さんのお悩み相談で「なぐる」と「どなる」のコマンドがあるという話を読んだのですが、わたしにも「なぐる」というコマンドがあるはずなので、それがもしお子に向いてしまったらどうしようという不安がずっとあります。幸いにも、今は子が泣き止まずどうしたらいいのかわからないときに「なぐる」のコマンドは出てこないのですが、そのかわりに「じし」というコマンドが常にちらついています。そういうときはもう「はやくしにたいな~」と思うのですが、個人的には子に対して「なぐる」が出ていないので満点ではあります。たとえ「じし」のコマンドが出たとしても、ある程度の元気がないとこのコマンドは発動しないのでまあ大丈夫だからです。でもまあ「じし」のコマンドはあるし「じしょう」のコマンドもあるのでいつそれが発動するのかな、と思っています。実際に「じしょう」のコマンドは何度か発動しそうになり、今は環境変化や疲労で出たのであろうかゆみのある蕁麻疹を放置してかゆいときに血が出るまでかきこわして痛みを感じて「じしょう」のかわりにしています。よくはないんだけど精神安定にはいいことなので許されたいです。これで安定剤のODになったら子に対してのなにかがありそうなのでこれくらいがいいなとも思います。

けれど、なくていいコマンドと「子がかわいい」という回復感情だけでは生活できず、子が産まれたことにより様々な人間と関わらなくてはいけなくなりました。今の基本は義実家と実母だけですが、それだけでももう「じし」のコマンドが発動するレベルです。子は「かわいい」という回復アイテムをくれますが、義実家は「じし」の圧がかかるのみで「かわいい」も「たすかる」もくれません。なにも回復させてくれないのなら関わらないでほしいのですが、そうもいかないらしく「初孫だから」というアホみたいな理由でわたしの「じし」のパワーをあげてきます。いっそ「しっそう」を発動してやろうか? とも思います。

それもこれも、実家はスラムで虐待フルコンボ家庭だったのですが、母親の謎のこだわりにより「子どもに対して洗脳も虐待もするけれどプライバシーの線引きはしっかりする」という謎のプライバシー保護があり、個人のクローゼットやタンスは開けない、着ている服に対しての言及はしない、わたしにきた手紙に対しては内容を聞かずに渡すという行為がありました。そのおかげかどうなのかわかりませんが、わたしの中で個人が育ちすぎてしまったのです。なので義母が子をなにも言わず勝手に抱き上げてあやしたり、保護者や子の意思を聞かずに義妹に「抱っこする?」と聞いたり、義妹が義母に対して「おばあちゃんになれてよかったね」と言う発言を許容できない人間になりました。「おばあちゃんになれてよかったね」という発言は今後一生許せないんですが、子は誰かを喜ばせるために産まれたわけではなく、百歩譲っても喜ばせるためなら両親であると思うので、祖母になったとはいえわたしにとってはなんにも関係のないそこらへんの人間のために産んだわけではないのです。しないですが、夫と離婚したらそれこそ他人でしかありません。それこそ「おばあちゃんになれてよかったね」なんていう言葉は子の個人を尊重されない最悪の発言なのですが、そういったことがなにも考えず言えてしまい、その発言をなんの疑問も持たず受け入れられる人間ってすごいな~と思います。子は誰のものではなく、そもそもものではないのですが、いたしかたなくものと仮定するならば、ひとりで生きていけない時期は保護者がある程度見守りやお世話をするので保護者のもの、と言っても多少は仕方がないのかもしれませんが(個人的には許せないけれども)、子は子と言う人間のものなんだよな~と思いました。赤子、もしくは子どもや孫を個人として考えられない人間って気持ち悪いな~と思います。実母も産まれたという報告をしたときに「ありがとう」と言ってきたので「そちらのために産んだわけじゃなく、わたしは子を子として産んだだけなので「ありがとう」という言葉は間違っています」ということを出産直後に言いました。短気の人間は即キレられるのでこういうときには便利です。でもさすがに義母に対してそれをとっさに言える人間ではなかったためにこうしてインターネットに長文の愚痴を書いているのですが、基本は短気なので次にこういうことがあったらさすがに「そんなことないですね~」と言えるように頑張りたいです。

あとはまあ、子を産むと言われる「二人目は?」「母乳? ミルク?」という言葉もそこそこのダメージを受けるのですが、これに関しては「体外なのでそのうち戻しますかね~」と「精神薬飲んでるので完ミですね~」でなんとか乗り切っていきたいと思います。クソカスなことを言ってくる人にはそれ相当の発言を返さないと気が済まない人間なんだと思います。というか「子どもは?」と聞いてくる人間たち、聞いた相手が不妊治療何年もやってたり子どもができない体質だったり子無しと決めている夫婦だったり過去になにかあって子を亡くしていたり、それ以外にも理由があって子どもがいないということに思い至らないのはなんなんですかね。わたしは子ども関係のことを聞いてくる人間たちは総じて人の家庭の性事情を知りたがる気持ち悪い人間どもだと思っているので元々嫌いなんですけど、子どもを産んでから余計に嫌いになりました。よくそういう他人のデリケートなところに首を突っ込めるなと思います。何の責任も持たない他人のくせに。これでインターネット吐き出し愚痴終わりです。つづく。

十二月十八日

最近の生活はずっと平坦なので本を読んで過ごしています。でも前みたいに集中して本が読めるかと言われればそうではなく、いちばん集中できる場所だった病院が転院になり、待ち時間が最大5時間だったものが最大でも30分になってしまったので読める範囲が狭くなってしまい悲しみでもあります。家だとなぜか集中できないんですがなにかあるんかな。読めるときは読めるのでたぶん気分の問題なんだと思います。集中力がない。あと病院用の小説を白夜行にしたんですが、記憶の中にあるよりも相当えぐい話だったので「これ読んでも大丈夫かな~」と思いながら読んでいます。人の読み物にケチ付けたり「なに読んでんだろ~?」なんて思いながら見たりする人間はあんまりいないとわかっているんですが、変なところで気にしいなのですこしだけ不安になっています。内容知っていたら「いやここでそれ読むんかい」となる気もします。だからといって本を変えたりはしないのでそういうところなんだろうな~とも思います。まあ不妊治療のときの病院待ち時間に「犬のかたちをしているもの」を読んでいた重罪があるので白夜行はかわいいもんかもしれません。

集中力がないので家ではインターネット漫画やら読んでなかった漫画やらインターネット二次創作を読んでいるんですが、名作(と言われている作品)おもしろ~と思っています。ずっと履修していなかったNARUTOを読んだのですが、ジャンプ!! という感じですごいおもしろかったです。ちょうど小学生くらいにアニメはじまっていたはずなので見ていたと思うんですが、内容全く覚えておらず我愛羅石田彰という情報しかないほぼミリシラのクソオタクだったので新鮮に読みました。次は多分テニプリを読みます。テニプリも手塚ラリアットニコニコ動画に以前あったダブルラリアットの手塚MADです)と小学生のときに植え付けられた同人しか知らないので今から楽しみです。でも最終回で歌っているという情報だけはあります。なんでインターネット妖怪オタクはそういうところだけ知っているんだろうな……

漫画つながりで勉強のため毒親漫画を読んでいたのですが、読んだ漫画ほぼ全て『子ども側が毒親に好かれようと努力する』ということがあって、そのようなことを一切しなかったわたしは驚きました。今年一驚いたことかもしれないです。わたしも「あ~~親に愛されたかったな~~」という気持ちはあるんですが、それに関してわたしが努力をしたかと言われればしてないと言い切れます。100000000000%してないです。なんで親に愛される努力をしなっかったのかはわからなかったんですが、自分の気持ちを曲げられなかったんだと思います。嫌なことは嫌だしやりたくないことはやりたくないですし、それは今もそうなので我が強いんだと思います。己の忍道は曲げねえというやつだな……と思いました。わたしがしたことで覚えているのは母親からの圧が無理すぎて家の壁紙を剥がして食べたり(剥がしたことをすごい怒られたけど食べたことは気付かれてなかった)道に生えているよくわからない草を食べたり、なにをされても言われても宿題をしなかったり言われたことを絶対にやらなかったりしました。そりゃあ好かれないだろ~とも思うんですが、そこまでに至る過程がゴミなのでしょうがないです。そんなことをしている小学生も狂っているなとも思います。たぶんそこからおかしかったんだと思うんですが、誰にもなにも言われずにのうのうと狂っていったので今がこうなってしまっています。子どもが異常行動し始めたら早めに手を打ったほうがいいです。いやでもそうなるまでになにかあるんですけど……家庭がゴミとか……

あとはもう絵が描けなくて、これはずっとなのでまあいいんですけど、乖離のたびに絵を描いていた高校生になっているので病院の先生に「絵を描いてみませんか?」と言われたのですこし困った事態になっています。いざ絵と向き合うと「あ~これ絵が好きだから描いてたわけじゃなくて美大に行きたいから描いてたんだな~」ということがわかってしまいさすがに笑いました。絵を描きたいから美大に行きたいのではなくて美大に行きたいから絵を描いているパターンもあるんだ~という発見です。でもそうなると美大に行けないということになった高校三年生からがくっと絵を描かなくなったことも理解できるのでそういうことね! という感じです。描いていた時期もあるにはあるんですが、それも25歳くらいからはぱたっと終わったので、大学にいたであろう時期を過ぎたらもう終わったんですよね。わかりやすいな~いやわかったところでこれからどうしようねという話なんですが……乖離起こっても「まあよくあるやつね~」と流せているので大丈夫なのだろうか。よくわからないことばっかだな~つづく

九月二十日

ときどき思い出す思い出リストに『一人暮らしをしていたときに宗教勧誘に来た人』があるんですが、数年前に一人暮らしをしていたときにどこの宗教か忘れたけれどとにかく宗教勧誘をされて「死後硬直がない」「死んでもお化けにならない」「みんな幸せになれる」みたいなことをだーっと言われたことがありました。その当時のわたしは無理矢理決めた仕事がこころの底から合わなくて、一緒に組んだ先生との相性も悪くて、周りからは「このクラスは簡単だからいいよね」と言われ続けて、でも個人的には休憩もないし毎日残業だし大変なんだけど!? と思っていた時期でした。病院からもらった向精神薬を規定量以上服薬しながら仕事をして、帰りにスーパーで値引きされた唐揚げを買い、家に帰って缶のお酒を最低三本飲みながら生きているような人間でした。今思えばこれでよく事故ったりして死ななかったな~と思ってヒヤヒヤするんですが、なんだかんだ運だけで生きてるだけはあるなと思います。

そんなヤバ精神状態のときに宗教勧誘にふたりがかりで来られて、わたしは自治会の人と間違えてドアを開けちゃったんです。そうしたらまあ最初のようなことを言われて「ハァ……」「ワァ……」と言いながら聞いていたんですが、当時から宗教嫌いでとっとと死にたかったので「死後硬直ないと死亡時刻見るのに不便じゃないですか……?」「わたしはお化けになってこの世にとどまりたいですけど……」「今もわりとしあわせなんで……」と暗いぼそぼそ声で言って帰ってもらいました。「今もわりとしあわせ」以外は本心です。毎日ストゼロを飲んでいたので酒臭いしどう見ても幸せじゃない一人暮らしの女は勧誘の人にとってはいいカモだったと思うんですが、家で宗教やられて最悪スラム育ちはこういうときにも嫌いパワーが強くて助かります。憎しみだけで生きている。次の日に出勤するときに郵便受けを見たらその宗教パンフが入っていて月曜日から最悪になりました。その思い出を最近はよく思い出します。この話を母にしたときに「それは○○っていう宗教じゃない?」と言われたんですが、これっぽっちも宗教名を覚えていないので夢かもしれません。でもジャンル:宗教だと他の宗教に詳しくなるんだ……と思って引いた記憶はあるのでたぶん現実です。「おばけになりたいって言ったらそりゃあ向こうも引くと思うよ」とも諭されたんですが、当時書いてた同人小説が『受けか攻めが死んだ後におばけになって一緒に暮らす死ネタ』だったので影響されたのかもしれません。それにしても最悪だったと思う。

そのひとたちはその後二度と現れなかったんですが(単に生活時間と合わなかったのかもしれないけど)東京に住んでいたときは宗教勧誘無しでNHKしか来なかったんですが、田舎での一人暮らしはNHKのかわりに宗教勧誘があるのか~という学びにもなりました。田舎の人たちのほうが不幸ってこと!? 正解はわからないけれど今住んでいるところ(田舎)にも勧誘来たのでほんとうにそうなのかもしれない。なめられたもんですね……

ほかにも『相互で嫌っているパートの人ががんになった話をしているところで推しの物販(通販)が始まったので話を聞かずスマホをいじっていたらより一層嫌われた』思い出もよく出てきます。これはわたしが全面的に悪い感じなんですが、そもそも病気になった人とわたしは仲が良くないし、休憩室でいつもスマホをいじるか本を読むかとりあえずだんまり女だったのでいつも通りなんです。逆に病気の話だけ食い気味で参加しているほうが嫌じゃない? と思うんですが、世の中はそうでもないのかもしれない。結局その人は初期のがんだったので一か月くらいで復帰したんですが、そのときにあったお祝い会は呼ばれずに他のパートの人から「今日行くの?」と聞かれて知りました。「そんなんあるんすかぁ!?」って大声を出して笑ったんですが、私の母親みたいな年齢なのにそんな中学生みたいなことするんだ……と思っていまだに思い出して笑います。その人たちはパート内でひとりだけ獲物を決めて陰口を言ったり無視したり変な空気にしたりしていじめるという陰気クソババア集団(直接悪口)だったんですが、対象のパートさんがやめてからはその対象はわたしだったんだな~ということに辞めてから気づきました。なにせ会話に参加はしないし誰ともしゃべらないので、嫌われているということは知っているけれどそんなことをされているかどうかまでは気にならないです。それよりも推しだったり自ジャンルの展開だったり自カプのことが気になります。世の中ままならないけど運だけで生き延びてるな~つづく

八月二十四日

体力の衰えがすごすぎて、お昼ご飯を食べたら知らないうちに一時間ほど寝ていることがここ数日連続して起こっていて怖いな~と思いました。なんだかなぁと思うのですが、最近まで何も食べれず吐きまくりで寝るしかできない生活をしていたのでそのせいだろうなと思います。リングフィットもしなくなっちゃった。そのせいです。

クソニートから専業主婦になり妊婦さんになったんですが、最近はずっと「母性ってなんだろうな~」と思います。母性の話を考えるたびに、わたしの母親は母子手帳の最初にある児童憲章ちゃんと読んだんか? と毎回思うのですが、ちゃんと読んで理解していれば子どもを殴らないなんてこともないんだろうか……? とも思うので不思議です。過去にとらわれすぎて怖いんですが、健康は精神系に不調全振りされているのでしかたないです。数日食べれず飲めずでも貧血にならない健康体なので……

わたしの母親に限らず、母子手帳の児童憲章ちゃんと読んでほしいし子どものときから伝えてほしいなと思いました。わたしは大学生になりはじめて児童憲章を読んで精神がおかしくなりました。こうやって決められていることを守れない人間が子どもを育てている……? という疑問からくる不調です。あ~ヤダヤダ……という気持ちです。

そのヤダヤダのせいなのか、前の職場でも「お母さんとけんかして殴られてケガした」と言っていた子がいて、すごく焦って「大丈夫!? 痛くない!? 他はどう!?!??」と聞いて上に報告したんですが、上が「あ~そういうことあるよね」みたいな受け取り方をしていたので未だに根に持っています。そういうことあるわけないんです。自分よりでかい人間が、たとえ喧嘩をしたとしても暴力をふるうってことはあってはいけないと思うんですけど……と思ったのですがしがないクソパートは何も言えずインターネットの隅っこで愚痴を吐きました。種族違うけど、飼い主の人間が犬を殴ってケガさせたら騒ぐだろうが……という気持ちです。なんで犬は保護されるのににんげんは無視されるの? という疑問です。殴られてケガするってことないからよ~~~

でもその保護者も上からの評価は「すごいていねいな人」とか「すごく頑張ってる人」とかなんですよね。たぶん上はみんな保護者視点というか、保護者擁護でわたしだけ子ども視点で考えているというか、そもそも殴られて育ってないんだろうな……という感じです。その後にどういう影響が起こる(かもしれない)ということを考えてないんだろうな……と思って家庭環境格差を感じました。でも上もわたしの母親のことすごくいい人だって思ってるんだもんな~宗教のために娘が死んでもいいし縁切ろうとしてた母親なのに。

そういうことを考えると「母性ってなんだろうな……」のループに入ります。最悪です。今はもう病院で説明されるときに「お母さん」と呼ばれることに気持ち悪さを感じています。お母さんが気持ち悪いんじゃなくて、病院側からの押しつけが強いというか、じゃあ夫のこともお父さんって呼べよな……という怒りです。こちらだけ求められましても……という不満なんですが、とにかく子どもはその子どもにとって適切な環境下で安全に健やかに育たなくてはいけないので勉強します。トラウマをひとつひとつほどく作業に似てるな~ずっと囚われるんだろうか。つづく。

七月二十日

ここ数日はずっと東野圭吾さんのガリレオシリーズを読んでいます。大学生のときに一巻目を借りて読もうとして「いや相方男なん!?」と思って読まなくなっていたので十年ぶりくらいです。ドラマから入ったので男の人だというのに慣れなかったんですが、ドラマがいい感じに抜けると途中で女の人がいるほうが「なんで?」になります。不思議です。

あと不妊治療していたんですが、陽性→胎嚢確認→心拍確認→母子手帳までこれました。結婚すら嫌がっていた女が結婚して不妊治療までして妊娠! っていう感じです。不思議です。でも数年前に小学生のときからの同級生に会ったときに「のすは結婚しなくてもいいから子どもほしいって言ってたもんね~」と言われてびっくりしました。そんなこと言ってたんだ……全く記憶にないですけど……

妊娠したから何か変わるかって言われてもほとんど何も変わらず、つわりで吐き気やば~い! と、かかりつけ精神科が車で片道一時間半かかるので行けてないことくらいです。まあでもべつに精神科に行ったからと言ってお薬をもらうわけではなくておしゃべりして帰るだけなんですけど……あとは今まで通りの日常生活をおくれなくなったくらいです。友だちと会うのにも「この日は元気~」っていうのが確定ではないので会えなかったり、そもそも外にあんまり出ないでね~と言われているのでちょっとためらいがあったり、体力が底辺になってしまったので三分動くと五分休憩しなくちゃいけなかったりです。問題が多い。

でも母子手帳もらえると嬉しさがあります。かわい~♡ という感じです。母子手帳をもらうときに保健師さんとお話ししなくちゃいけないんですけど、まだわからない未来のことまで聞かれて「ウウ~ン?」となりました。正直母乳でもミルクでもどっちでもいいので……こだわりがない……でも「精神科通ってて~」というところにすごい突っ込まれたので、たぶん今からちょっと注意する人リストに入ってるんだろうな~と思いました。でも注意してもらえるのはいいな~と思います。仕事増やしてしまうのは申し訳ないです。

あとはようやくアマプラで犬王見れたんですが、動きかっこい~! と思いました。動きがかっこいい! すごい動くし。劇場で観ていた友人が「アヴちゃんの声、山口勝平に似てて聞きやすかった」と言っていたんですがその通りでした。アヴちゃん歌もうまいし声もすごい。あと最初の入りが最後でちゃんとわかるっていう話の構成が好きなのですごいよかったです。映画館で観ればよかったな~つづく

五月二十五日

最近ず~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っとティアーズオブキングダムをしています。一日の半分くらいはテレビの前でコントローラー握っているような感じです。もうそろそろ睡眠時間を削ってプレイするのは年齢的にもやめたいのですが、発売から二週間がたちそうなのにまったく終わる気配がありません。二週間ずっとこんな感じです。ここまでくると体が慣れてしまったのか、今まで22時~6時の睡眠時間だったのが、23時前に寝ると6時前に起きるようになってしまいました。よくない変化です。オタクってずっとこうなのかな……

あとはずっと毎日平和的な精神安定をしているので、これはいつかどんでん返しくるんだろうな~と思いました。いや平和的な精神安定はすごいいいことなんですけど、そういうときはいつも漠然とした不安があるんです。なにかしらずっと不幸でいなくちゃいけないって思っているのかもしれない。なんでだろうな~本当にわかんないです。今日ふらっと2017年くらいの日記を読んだらドカドカ出かけていて元気モリモリ! って感じがしてほほえましかったです。最近ずっと鬱々としたものしか書いていなくて(日記も同人も)なんだかなぁ、どうしよっかなぁ、と思っていたのでよかったことです。何?

 

ここからは夢女にすらなれなかったオタクのひとりごとです。

 

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四月三十日

昔、NHKでやっている72時間という番組を見ているときに、沖縄の人が「軍の人は、基地を作るときに森をそのまま残してくれている。けれど基地の土地が返ってきたら、その森を壊して商業施設を作ってしまう」というようなことを言っていた。でもこれはもう数年も前のことだし、私の記憶の捏造かもしれない。いつの放送だったのかもわからない。答え合わせもしていない。でも、その言葉はちゃんと覚えている。

その番組の中ではほかにもインタビューとして流れた人たちはいたはずだけれど、覚えているのはその人と「NHKの番組なんだろ? 〇月×日に飛行機が学校に落ちた事件は知ってるか?」と、強めの口調で言っていた人だけだ。なんでその二人なんだ? と思うけれど、口調が正反対だったので覚えているのかもしれない。

先月、新婚旅行で沖縄に行ってきた。沖縄に行ったのは十年ぶりくらいだった。母親の趣味で小学三年生~高校二年生まで毎年必ず沖縄に行っていたのだけれど、大学生の卒業旅行で行ったきりになっていた。十年ぶりの沖縄は記憶の中と同じところもあれば違うところもあって、はじめて行くところみたいに思えた。母親と行っていた時はホテルに軟禁状態だったので、ほぼはじめて今回の旅行で沖縄の道路を通ったような気がする。卒業旅行のときは、もう道の記憶がない。友だちとしゃべったことはぽつぽつ覚えているのに、道路についての記憶だけすっぽり抜けている。はっきりとした記憶は、最終日に大きな流れ星を見たことしかない。

そんなふうにほとんど忘れている中でも、沖縄は運転の治安がない、というところははっきりと覚えていた。実際、今回の旅行でも運転の治安はなかった。ウインカーを出さずに曲がるし、ブレーキ踏まずに割り込んでくるし、法定速度は守らないし、信号は注意喚起位の意味しかないし、一時停止は止まらないし、たぶん無意識で煽ってくる。地元も治安ないなと思っていたけれど、さすがに信号は守る。それ以外はほとんど同じようで、でも、やっぱり違うようにも思えた。

そんなふうに怖い環境で助手席に座っていたのだけれど、前に来たときにはきっと見ていないいろんなものが見えた。道路脇に立て看板や横断幕があったり、デモをしている場面に出くわしたり、横断幕を作る広告があったりした。横断幕には基地をなくせ、ということが書かれていて、ところどころ破れているものもあって、それが長い間掲げられているということがわかった。

わたしは政治への関心はほとんどないし、普段ニュースの中の事件関係報道を一切見ない。朝の情報番組は見るので、その中でたまに事件関係のニュースが流れるとびくっとしてしまう。この世界で人が殺されているという事実が怖いのだ。なんにも関係のない人が突然刺されたり殴られたりするのは間違っている、加害者をすぐさま同じ目にあわせるべきだ! と思って、とてもつらくなる。政治関係もそういう理由で知ることができない。「なんでなんも知らんのに、そんなふうに決められるんだ」と思って怒って、つらくなって、悲しくなる。同じようにインターネットのニュースも見られない。腹が立って、最終的に、なにもできない自分に対して悲しくなる。

そんな中、沖縄の横断幕を見た。たぶん埋立地に入っていくトラックを入れさせまいとしている市民と、それを見守る警官のことを見た。わたしは、沖縄のことをほとんどなにも知らない人間だ。最近沖縄出身の社会学者の本を読んだり、沖縄について研究している社会学者の本を読んだりしただけだ。海と関わりが薄いところに住んで、海よりも川のほうが身近にある。わたしが見た場面は、市民がトラックに対してなにかを言っているような場面だった。警官はなにもせず見守っていた。トラックは動けずにいたように見えた。わたしにとって非日常のこの場面は、沖縄の人々にとっての日常なのかもしれないと思った。そう思った途端、こわくなった。沖縄のことをなにもしらない自分にもこわくなったし、見ないようにしていた事件のニュースにあるようなことが、沖縄では日常だということに怖くなったのだ。

高校生のときに、修学旅行前に参加者全員が体育館に集められて「さとうきび畑の唄」という映画(もしかしたら長時間ドラマだったかもしれないです)を見た。わたしは見たことがあったので「こういう話だったよね」と思いながら見たのだけれど、隣に座っていた同じクラスの女の子がずっと泣いていた。もう修学旅行のことはほとんど覚えていないのに、そのことだけはずっと思い出せる。彫刻コースの女の子だった。わたしに対して「なんで泣いてないの?」と驚いていて、わたしは「見たことがあるから」と答えた。そこまでちゃんと思い出せる。そのことを思い出した。

埋立地前後から横断幕が多くなった。全部は思い出せないけれど、わたしの地元にはない光景だった。それだけ感情が強いことがわかった。どんな感情かははっきりはわからない。その人ごとの感情があると思う。それをわたしが勝手にわかった気になるのはよくないことだ。「こうだから悲しいんですね」「こうされたから怒っているんですね」と決めつけるのはよくない。けれど、その気持ちの強さはわかる。トラックを止めることだって、もし何かあれば死ぬ可能性だってある。あんなにタイヤだけでも大きいものに向かっていけるのは、それだけ気持ちが強いからだと思う。

沖縄の海はきれいだった。料理もおいしい。気候もいい。けれど、道路に出れば建物のすぐ上を軍用の飛行機が大きな音を立てて飛んでいた。ものづくり体験で教えてくれたお姉さんは「お客さんになめられることが多い。敬語は使ってほしい」と愚痴を言っていた。前に来たときには何もわからなかったことにすこしだけ触れた。これからもきっとわたしは事件のニュースは見られないけれど、今回の沖縄で感じたことは覚えていられると思う。たぶん、修学旅行前の「なんで泣いてないの?」と言われたことと同じくらい思い出せるはずだ。つづく