四月九日
最近元気がない。選んだ選択がぜんぶ間違いのほうだったような気がしている。前なら「まあそういうこともあるよね~」で流せたことも流せなくなってきていて、それなのにああこれもうだめかもなと思ったのは昨日のことだった。たぶんここ二年くらいずっとだめだった。気がついたのが昨日だってだけで、ずっと間違いの選択肢のほうに進んでいるんだろうと思う。
四月はもともと元気がない月で、一年の大半はなにかと理由をつけては元気がないんだけど、それにしたって元気がない。なんとかなるよなってこともだめだと思うし、なんとかしなくちゃいけないこともだめだと思う。それがいちばんだめだということはわかっているし、その選択は逃げてしかないということもわかっているんだけど、それにしたってうまくいかないもんだなあと思う。
最近は嫌なことばかり覚えているような気がするので、毎日の記憶を少なくするためにいいことをしている。道を譲るとか、困ってる人に声をかけるとか、そういう小さな事は覚えないので記憶が減ってとても楽になった。イライラしたりこのやろと思うとずっと染みついちゃってはがれなくなるのでよくない。いいことはすぐ剥がれ落ちてなくなるのでとても気が楽。少なくとも私のなかではそうなっている。理論はわかんないけど。
今日は本棚の整理ついでに「青のフラッグ」を読み返した。私が読んだ漫画の中にこの漫画があることがとても嬉しい。一巻から通しで読み返すのはすごい久しぶりだったし、たぶん三年以上はたってたのでところどころ忘れていたんだけど、ちゃんと芯みたいなのは覚えていて、ほんとうによかった。これからもときどき読み返そうと思う。出会えてよかった。
来月はうまくいくといい。つづく
八月二十八日
人間の生活がとても好きだ。その人間がどう生きてどう生活しているかをはたから見るのが好き。前に話題になっていた「東京の生活史」はとても好きな本のひとつになった。「沖縄の生活史」も「大阪の生活史」も読んだ。とてもよかった。
ツイッターが出てきてからわたしの人生に一切関わりのない人間の生活を見ることができて本当に嬉しい。他人の生活を娯楽にしていいのかはよくわからないけれど、人間が生きて生活をして日々を過ごしていると思うのがとても好きなので許してほしい。現実には誰にも言わない趣味にしているし。物件の間取りを見ているのもその一環で、ここでどんな人間がどう過ごすのか(過ごしていたのか)と思うのが好きだ。
だから人間に絶望したくない。よくないことを見たくないので離婚してからはニュースを一切見ていない。なので芸能ニュースを知らなすぎて、嵐の解散も知らなかったせいで職場の人に気味悪がられていた。芸能ニュースは悪意があるので見たくない。これは偏見だけど、人間の生活に悪意を含めないでほしい。性善説をわりと信じているので「みんななかよく」の気持ちで生きてる。サンリオさんありがとうの気持ち。でもこの世は悪意が多すぎて、車乗ってるだけで煽られる。それに対して「なんだよあいつ」と思ってしまう。よくないなあってわかってるのに悪意に対して悪意でしか考えられなくなってる。
人間の生活はどうしょもなくて続くしかないものであってほしいと思いました。これもあれもぜんぶ生活。つづく
十二月三十一日
久しぶりに日記を見たら「あ~こんなこと考えてたんだ!」と思ったり「こんなこと思ってたよねわかる」と思ったりした。昔と考えが変わっていたり、変わんなかったり、そこはわかるけどここはわかんないなって思ったり、これは成長なのか退化なのかわかんないねってひとりで笑えてきた。そんな年末になっている。
ことしはずっとうっすらとした殺意がへばりついていて、離婚すれば取れるとか、時間がたてば取れるとか、年末になれば取れると思ったけれどそんなことはなく、今もうっすらとした殺意はちゃんといる。めんどくさいなあって思うときもあるけれど、いつかみてろって思って長生きしようと思うこともあるので殺意も悪いもんじゃないかもしれない。悪いけど。
今年は最初のほうに悪意がなければいいってもんじゃねえだろって思うことがあった。そもそも悪意がないなら許されるというものじゃない。ひとのいのちをなんだと思っているんだと思ったり、こういう人間がこの世に存在していていいんか? と思ったり、なんだかなって思った。悪意がないから謝らないです、って、悪意があったとしても「デリカシーがない」で片づけられてもわかんないじゃん。そういうことがあって、これは一生忘れないんだと思う。許さないから忘れない。この前インターネットで「憎しみなんか持ってても重いだけだし手放したほうがいい」みたいな文章を見たけど、うるせえバカって気持ちになった。わたしが悪意を手放したら、悪意の矛先にいるものも楽になるじゃん。わたしはそいつを楽になんかさせたくないし、そいつが楽にならないでいるのならたとえ重くても悪意と憎しみを持ったまま生きるわボケカス、という気持ちです。
こんなので年を越してもいいんか。つづく
八月二十四日
帰宅途中で、ご両親が外国のかたであろうお子さんを見た。お子さんはひとりで大きなラジコンで遊んでいて、わたしはその光景を見たときに「友だちがいないのかな、かわいそうだな」と思った。
でも帰宅してしばらくたって「いやあの考えはおかしかったな」と思った。もし、ひとりで遊んでいたお子さんが外国のかたではなかったら。わたしはきっと「今日はたまたまひとりなんだろうな」とか「保護者はどうしてるんだろうな」とかを思っただろう。もしかしたら「虐待されてるかも」と思うかもしれない。夕方の五時くらいの歩道にいたので。でもそんなことは思わなかった。たぶん、見たお子さんのご両親が外国のかたであろうと思ったから。
偏見をなくそうとか間違った見かたや偏った見かたは止そうとか、男性だからとか女性だからとか、そういった見かたをなくそうと思って気を付けていても結局は根本を変えないとどうにもならないんだなあと思う。育った環境も家庭も関わってくると思うし。わたしは女装している男性が女子トイレに入ってきたら「いや違うじゃん」と思う。でもその女子トイレに入ってきた女装している男性の中ではそれが「正しい」ことなんだろう。たとえが悪いけど。これはたぶん違う案件だけど、宗教を信仰している人が「これは神さまの水です」とありがたがっているのと、それを冷めた目で見ちゃうような違いなんだろうけど。たぶんこのたとえはおかしい。でも見えかたの違いって、簡単に言うとそういうことなんだろうなとわたしは思う。
なぜだかひとつ前の日記がたくさん読まれていて、昨日はずっとびっくりしていた。今まで来たことないはてなからのメールが来るし。pixivにあげてる文字よりも見られてるし。気持ちの悪いオタクのフェスとラッドに対する愚痴だったので申し訳ない気持ちになりながらツイッターを見た。読んだ人からの意見が肯定的なものばっかりじゃないってことは同人をしている上で重々わかっていることだったけど(今回のは文字でもないただの愚痴だし)久々によくわからないことを書かれてしまって友だちに助けを求めてしまった。そのツイートはわたしの意見のまとめじゃない。
その人にはその人の意見があるし、わたしにはわたしの意見がある。その人の見ている世界とわたしの見ている世界は違うってこともわかってる。わたしの書き方が悪かったところもあることもわかってる。わかっているけど、わたしは怒ったり悲しんだり悔しくなったりする。違うことには「いやそれ違うんですけど……」って言いたくなる。ので、完全に蛇足なんだけど、書きます。
基礎疾患をもつお子さんが福祉や医療に関わっているのは本当というか当たり前で、医療的ケアが必要なお子さんはもっと深く関わっているし、そうじゃないお子さんたちだって福祉や医療には関わっている。大人だって熱が出れば病院に行くし、妊娠したら医療だけじゃなくって福祉にだって関わる。ここらへんの細かいことは完全に専門外だし、わかんないけど、たぶんみんな生きてれば関わってる。すごく少なくとも一度は関わると思う。だからって、基礎疾患をもつお子さんによく関わるからって、福祉や医療の仕事をしている人「だから」フェスに行かない・行けないってことじゃない。みんな「行かない」って選択をしたほうがいいと思う。少なくともわたしはそう思う。
職場で隣の席の人とか、同僚とか、同じフロアで働いている人とか。学校でも同じクラスとか、隣の席とか、学食でたまたま近くに座った人とか、講義で隣になった人とか。そういった人たちには家族がいる場合が多いと思う。でも、その、自分が関わっている人たち、もしくは関わっちゃった人たち全員の家族構成やら持病やらを知ることはあんまりないと思う。
めちゃくちゃ仲いいです!なんでも話します!みたいな関係はそれでいいと思うけど、そんなに学校上だけの付き合いだとか仕事上での付き合いだとかで「実は基礎疾患があってさ」とか「子どもの心臓に疾患があって」とか、そういう込み入った話ってあんまりしないんじゃないかなと思う。職場の人の話だけど、娘さんが心臓に疾患があるけど、娘さんはそれを彼氏や友だちには話してない、ということを聞いたことがある。あんまり込み入った話ってそういう雰囲気にならないとしないし。わたしも自分から「精神科通っててさ」なんて話はしない。相手にいらない気を使わせちゃうかもしれないし。自分から話す人もいるとは思うけど、それは別件として。
その前提で、フェス行った!楽しかった!仕事・学校がんばろ!で行った人はいつも通りに過ごすとする。毎日変わりなく。それでなんの変わりもなく過ごせてたらいいと思う。でも、フェス行った人が媒体になって隣の席の人、もしくは関わっている人にうつして、その人が感染しちゃったってこともあるかもしれない。行った人が陽性になって、隣の席の人や関わった人も陽性になって……ってことだってあるかもしれない。どうなるかわからないので。それで、もしそこで陽性になった人の家族に基礎疾患があったら。家族が妊娠していたら。まだワクチンを受けることができないちいさなお子さんがいたら。病気の家族がいたら。なんにもなくても、その人の家族が亡くなってしまったら。残された家族がいたら。持ち込んだ人は「そんなこと知らなかった」になるかもしれない。「言ってないから知らなかった」になるかもしれない。
普段から基礎疾患を持つお子さんや医療的ケアが必要なお子さんと関わってなければ知らないかもしれない。でも、世の中にはそういったお子さんがいる。病院の中だけじゃなくて、保育園や幼稚園や、学校、家庭、学童や放課後デイサービスだとか。おんなじマンションにだって住んでるかもしれない。基礎疾患のことばかりだったけど、毎日どこかに出かけたいお子さんや、自分の中のスケジュール通りにいかないとパニックになるお子さんもいる。そういったお子さんが感染したら。お子さんじゃなくて、保護者が感染したら。お子さんは外に行けないと言うことでパニックになって、保護者は大変な思いをする。そういったお子さんや家族と、隣の席に座っている人が暮らしているかもしれない。
「いやコロナが全部悪いじゃん」って言うのはまあそうなんだし、コロナがなかったらこんなことにはならなかった。でもわざわざ自分から感染するかもしれない可能性が高い場所に行って、コロナになって、周りの人にうつすのは違うんじゃないかな、と思う。フェスに行かなかったら周りの人はコロナにならなかったかもしれないし。だから福祉や医療の仕事をしているから行けない・行かない選択をするんじゃなくて、自分以外の人間と関わる人間はみんな行かないほうがいいと思う。わたしも福祉や医療の仕事をしてないし。そうなると、もうフェス自体をやらないとか、無観客で有料配信のみにするとか、そういう手段をとったほうがいいと思う。感染させないために。
わたしがラッドを嫌いになったのも、フェスに来た人が感染して、ウイルスを散らして、そのせいでその人が、もしくは全く違うその人に関わった人が亡くなってしまうかもしれないから。その人がもしラッドのことが好きで、ラッドが見たくてフェスに来たとしたら。その人がコロナに感染してしまった原因のなかにラッドが含まれてしまう。少ないかもしれないけれど、その原因はある。そうなってほしくなかった。感染の原因をつくってほしくなかった。武田と桑ちゃんにはまだちいさいお子さんがいるのになあとも思ってしまう。
今回の日記のことを前回に書けばもっと違ったのかなあと思うけど、それに気づいたのが今日だったので今日書きました。なにかしらの支援が必要な人たちはもっと身近にいるし、関わっている人もたくさんいる。でも見てないし知らない人は知らないままなんだろうな。そういう気持ちで書きました。
好きだったバンドを嫌いになった話
好きだったバンドの話をします。
RADWIMPSのことが大好きだった。
はじめて聞いたとき、わたしは14歳で、飛行機の中だった。そこで流れていたのは「25コ目の染色体」だった。
聞いた瞬間に、すぐに好きになった。着いた先で最初にしたことは、CDショップに行って、そのシングルを買うことだった。何回も聞いた。アルバムも買った。トレモロが好きだった。有心論は何回聞いたかわからないし、マニフェストはわくわくしながらCDを受け取って、すぐに聞いた。大学生になって、ライブにも行った。はじめて見るラッドは、キラキラとして、輝いていた。それから毎回応募して、当たればライブに行っていた。いけないときはインスタやツイッターに上がる写真を心待ちにしていた。新海誠さんの映画音楽に使われることが決定した時は、不安もあったけど、嬉しかった。映画も何回もみた。オーケストラコンサートも、とてもよかった。また映画音楽をやると言ったときも、とても嬉しかった。映画のことも大好きになった。上映終了した後は、円盤を買ってなんべんもみた。
ほんとうに大好きだった。一番大好きなバンドだった。SNSで野田洋次郎が燃えていても、大好きだった。でもすこしずつおかしくなった。優生思想のときは「それはおかしい」と思った。コロナへの発言ではすこし嫌いになった。なえなのさんとのインスタライブも、15周年のライブのときも、すこしずつ嫌いになっていった。嫌いになっていくたびに、それでも大好きのほうがおおきかった。新曲が出れば予約をして、買って、聞いて、大好きだった。アルバムが出ることも嬉しかった。楽しみだった。今は出かけられないから、出かけたときに予約をしようと思っていた。
だってわたしのことを救ってくれたから。大好きだったから。音楽を聞くきっかけを作ってくれたから。狭かった視野を広げてくれたから。ラッドをきっかけにして友だちが増えたから。いつもそばにあったから。いつも聞いてたから。
でももうだめになった。
今以上に嫌いになりたくなかったから、最近はツイッターのフォローをやめていた。フジロックに出ると言うことを知ったのも、つい最近のことだった。最初は嘘かと思った。でも本当のことだったので、辞退すると思った。関東も新潟も、感染者数も重症者数も増えている。そんな中で対策をしっかりとっているし野外だと言っても、フェスなんてやるもんじゃないだろうと思っていた。年越しのフェスに行ったことがあるからなんとなくわかるけれど、あそこは人がぎゅうぎゅうになるところだった。そこでマスクをしていたところで、絶対になにかが起こる。出演者は免れても、観客は感染してしまうだろう。そう思った。
でもラッドが辞退することはなかった。フェスも中止されなかった。配信を見ることはできなかった。Mステを見ることすらできなかった。ここで配信なりテレビなりを見て、ラッドのことを今以上に嫌いになるのが怖かった。今見たら絶対に嫌いになると思ったから。でもインスタを開いて、全く関係のない好きなモデルさんのストーリーを見て、そこにあった配信画面のスクショでもうだめだと思った。そこにいたのはラッドではなく、くるりだった。これでまだバンドだけを映しているスクショだったら大丈夫だったかもしれないけれど、そこにあったのは観客ごとくるりを映したものだった。そこにはコロナ前に参加したフェスと変わらないくらいの人がいた。
唖然とした。ストーリーをとばすのも忘れて、その画面を見た。いつのまにか違うものになっても、頭に残ったのはそのスクショだった。ぼんやり画面を見ながら、わたしのなかでなにかがだめになったのがわかった。
そのあとはフジロック関係のツイートを探して見た。見たものを、なんとか見間違いだと思いたかったのかもしれない。でもそこにあったのはたくさんの人の写真、マスクをしないではしゃいでいる人の写真、お酒を飲んでいる人の写真、複数人で居酒屋で飲んでいる写真、たくさんの人がぎゅうぎゅうになって音楽を聞いている写真だった。
ラッドのインスタも見た。写真があがっていた。「ありがとう」と書かれていた。それを見て、もうだめだと思った。
今まで何度も炎上してきたのを見ていた。そのたびに嫌いになれなかった。フェスだって、どこかで、大人の事情でしかたなく参加したんだって思いたかった。感染対策もちゃんとしてるんだと思ってた。ラッドのこと嫌いになりたくなかった。今まで全部、わたしのなかでうまい落としどころを見つけてきた。でも今回はだめだった。どこにも納得できるものがなかった。フジロックを配信で見ている人のことも嫌いになった。出演者すべてを嫌いになった。フェスというものも嫌いになった。擁護している人も嫌いになった。参加者も嫌いになった。許せなくなった。ラッドの曲が流れてきて、耐えられなくてとばしてしまった。ラッドの曲を全部消してしまった。苦しくて泣いた。嫌いになりたくなかったから。だいすきだったから。でももう無理だった。
すこし冷静になった今から考えれば、妬みだったのかもしれない。好きな映画もみれない。みたかった映画もみれない。みたかった舞台も、展示も、カフェにも行けない。近所のスーパーでさえ怖いのに、画面の向こうでは自分の好きなことをして楽しそうにはしゃいでる人間のことが羨ましかったのかもしれない。妬ましかったのかもしれない。でももう全部嫌になった。もう好きになれない。曲も聞けない。顔を見るのも、バンド名を見るのも嫌だ。顔を見るのも嫌だ。ファンだという人のツイートも嫌だ。グッズを見るのも嫌だ。全部嫌になった。許せなくなった。出演者もスタッフも参加者も、楽しかった思い出を持って各地に帰るんだろう。そこでコロナになるかもしれない。誰かにうつすのかもしれない。そのとき何を考えるのかはわからない。他人だから。
話が変わるけれど、わたしの職場には基礎疾患を持つ子どもたちが沢山いる。聞いたこともないような病気の子や、心臓に疾患をもつ子や、風邪で入院しなければならないような子もいる。その子たちがもし、万が一、コロナになってしまったら。そう考えるとどうしたらいいのかわからなくなる。現に、コロナ前に風邪をひいて亡くなってしまった子もいる。そういう子どもたちと仕事をしている。
出演者もスタッフも参加者も、フェスを楽しんで、楽しいまま新潟から各々の住んでいるところに帰って、生活をするんだろう。映画をみに行くかもしれない。コンビニに行くかもしれない。学校に行くかもしれない。職場に行くかもしれない。スーパーで買い物をするかもしれない。それはコロナを持ったままかもしれない。風邪だと思っているだけで、実際はかかっているのかもしれない。それで、名前も知れない他人にうつしているのかもしれない。
もしその名前も知らない他人に基礎疾患があったら。家族に要看護の人がいたら。基礎疾患を持つ家族がいたら。生まれたばかりの子どもがいたら。重症になってしまったら。亡くなってしまったとしたら。責任は誰がとるんだろう。誰もとれないと思う。だから嫌になった。許せなくなった。
文字を書いているとき、ずっと手が震えていた。涙が止まらなかった。ラッドの曲を全部消したのに、流れてくるかもしれないと思った。楽しかったのも嬉しかったのも全部ある。嫌いになりたくなんかなかった。ずっと好きでいたかった。一番だと思ってた。この日記にも、ラッドのライブに行ったことが書かれていた。途中まで読んで、読めなくなった。2019年の宮城で、指をさしてもらったことを思い出した。あのときはこころの底から大好きだった。
16年ありがとうございました。
二月十一日
どうしようもできないことは世の中にごまんとあって、今日は高校生のときの夢を見た。まわりの環境は今のままだけれど、同級生もみんな高校生のときのままで、わたしは高校のときに仲のよかった友だちと一緒に油絵を描いたりキャンバスを先生の目を盗んで取って行ったりしていた。同級生の子もたくさん出てきて、とても懐かしかった気がする。そのなかでわたしは高校三年生の途中から苦手になってしまった子のラインを聞くか聞かないか悩んでいて、今になってはそんなことどうしようもできないし、その子の連絡先を一切知らないので聞くことすらできないことを起きたときにふと思って、それからずっと今日はそのことばかり考えていた。どうしようもできないことが多すぎる。
最近は毎日安定剤を仕事前と仕事中に飲む生活をしていて、こんなんじゃだめだしっかりしないと、普通にならないとと思っているのにどうしようもできない。毎日頭のなかで誰だかわからない人がしゃべっているし、サイレンは鳴っているし、ときどき鳴ってもいない着信音とか通知音が鳴っている気がしてなんべんもスマホを見てしまう。薬を飲んでもどうしようもできないのでお医者さんに言うしかないのだけれど、診察は来月なので今はぼんやりとはやく来月になるのを待つしかない状況で暮らしている。薬があってようやくこの生活で、薬を飲まないで生きていた高校生とか大学生とかのころはどうやっていたのだろうと思ったけれど、あのころは自傷があったのでどっちもどっちだな、と思った。まだすこしの差で薬を飲んでいる今のほうがいいかもしれない。
いっそのこと高校生のときに死んでおけばよかったんじゃないかと思うときも時々あって、だからと言って今からじゃどうしようもできないのでだらだら生きている。高校生のときのわたしはどんなことを思って生きていたのか今じゃ全くわからない。一年生のはじめのころはとても楽しくて、精神はおかしかったけれどなんとかやっていたと思うけど一年生の終わりくらいから三年生のはじめくらいまでの記憶がごっそりないので、たぶんそのあたりで本格的におかしくなったんじゃないかな、と思った。今思い出してもどうしようもできないんだけど。あのときああしていればきっともっとうまくやれたんじゃないかって思うことがたくさんある。そうすればきっと今みたいな生活ではなくて、もっとちゃんとした、まともな生活だったのではないかと思ってしまう。きっとこれからもこうしてしなかった未来について考えていくんだろうなと思うし、でもそれが不幸なことなのかわからないままだ。
そんなこんなで最近は精神が落ち着かない。だめだだめだと思っていろいろなことをしようと思うけどうまくいかない。職場でもいろいろあるし、頭のなかで聞こえる声にも悪口が混ざりだしてこれはだめだな、と思う。だめだな、と思うのに解決方法もわからない。八方ふさがりのなかで、でも来月は推しのライブで、五月にはラッドのライブもあるのでなんとか生きています。生きてさえすればいいので。つづく
十月九日
この三カ月で本当にいろんなことがあった。今年はほんとうにいろんなことが起こったしいろんなことを起こした年だったと思う。仕事がころころ変わったし、はじめて会う人も増えたし、友だちも増えた。はじめてツイッターのフォロワ―と旅行に行くこともした。いろんなことが起こっていろんなはじめてのことをして、いろんなことを起こした年だった。まだ二ヶ月あるけれど。
この三カ月で一番大きかったことはラッドのライブに行ったことで、わたしはうまれてはじめてあんなにちかくで野田洋次郎さんを見た。ステージは遠かったのだけれど、センステが近かったのだ。そこではじめてみた野田さんはとても美しかった。キラキラしていたし、とても楽しそうだった。あと大きかった。わたしはわりと背の高い人間なので、自分よりも大きな人間を見ると感動してしまう。そんなのごまんといるよと言われるけれど、身近にそんなに大きな人間はいないのでびっくりしてしまうのだ。そんなふうに見れた野田さんはとてもすごかったので、わたしはようやくラッドのライブ円盤を買い始めた。今まではなんとなく避けていたので買うのははじめてだった。2017年のツアーは、わたしが前にすきだった人と行ったライブだったので見ると泣いてしまうのであんまり見てない。2018年のツアーは行けなかったライブなのでうれしかった。そのほかは買ったけれどまだ見れていない。最近は時間があるのに長時間テレビの前に座って同じものを見るということができていない。どうしょもないなと思うけれど、なんでこうなってしまったのかはわからない。なので少しづつ見ているけれどどの野田さんもきれいで輝いていて美しいので野田さんはすごいと思う。来年もツアーがあったら行きたいなとほんとうに思うし、また近くで野田さんを見たいし、でもラッドのライブに行けるだけでいいかとも思う。ラッドはわたしが中学三年生のときに、わたしのことを人間にしてくれたバンドなのでいろんな感情がある。ほんとうにすきなバンドだし、たぶんこの先もずっとすきなのだと思う。そうであってほしい。
あとこの三カ月では仕事をやめて実家に戻って、実家の近くで仕事をしている。大丈夫だと思っていた職場はほんとうは全然大丈夫じゃなくて、毎日嫌味を言われて過ごしていた。精神疾患だと決めつけられたし(実際にわたしは精神疾患ではあるのだけれど)、手首に傷があるという理由で真夏なのに長袖を強要されたり、ほんとうに「昔いろいろあったんです」と笑わなくてはならなくなってしまった。でも実際にその立場になったとき、わたしは「昔いろいろあったんです」と笑えるような人間じゃなかったことを知った。そんなことは言えなかった。なんにも言い返せなくて、ただへらへら笑って長袖を着ていた。こんなのおかしいよなって思ったけれど、世間一般はそう言う認識なのかとも思った。手首に傷がある人間は精神疾患で、その傷は見せてはいけなくて、そのためには暑い中でも長袖を着なくちゃいけない。そのときにぼんやりと、大学にいた教授が「手首の傷は汚い」と言っていたことを思い出して、そういえばあの人間もおんなじことを言っていたなと思った。手首に傷がある高校生がバイトをはじめて、その店長に長袖を強要されたと相談した際に「手首に傷があるのに辞めさせないのは店が偉い、手首の傷は汚いのだから」と言ったと自慢げに話していた。言われた子どもは大丈夫だろうかと時々思うことがある。わたしの知らないところで幸せに生きていればいいけれど、直接言われたわけではないわたしでさえこんなふうに思ってしまうのだ。その子は違うかもしれないけれど、もしかしたらこころのどこかに刺さったままになっているかもしれないと思ってしまう。
そんなこんなでいろいろあった。今は秋なので長袖を着ているけれど、職場は夏でも寒いので長袖を着ている。それはもしかしたら前の職場で言われたことがこころにのこっているからかもしれない。でもわたしが悪いのかもしれない。よくわからなくなってしまった。とりあえず明日はピアスを開けて、来年は推しのライブがあるのでそれまで元気に生きなくてはいけない。つづく。