海の日

地獄で生きる

八月二十四日

帰宅途中で、ご両親が外国のかたであろうお子さんを見た。お子さんはひとりで大きなラジコンで遊んでいて、わたしはその光景を見たときに「友だちがいないのかな、かわいそうだな」と思った。

でも帰宅してしばらくたって「いやあの考えはおかしかったな」と思った。もし、ひとりで遊んでいたお子さんが外国のかたではなかったら。わたしはきっと「今日はたまたまひとりなんだろうな」とか「保護者はどうしてるんだろうな」とかを思っただろう。もしかしたら「虐待されてるかも」と思うかもしれない。夕方の五時くらいの歩道にいたので。でもそんなことは思わなかった。たぶん、見たお子さんのご両親が外国のかたであろうと思ったから。

偏見をなくそうとか間違った見かたや偏った見かたは止そうとか、男性だからとか女性だからとか、そういった見かたをなくそうと思って気を付けていても結局は根本を変えないとどうにもならないんだなあと思う。育った環境も家庭も関わってくると思うし。わたしは女装している男性が女子トイレに入ってきたら「いや違うじゃん」と思う。でもその女子トイレに入ってきた女装している男性の中ではそれが「正しい」ことなんだろう。たとえが悪いけど。これはたぶん違う案件だけど、宗教を信仰している人が「これは神さまの水です」とありがたがっているのと、それを冷めた目で見ちゃうような違いなんだろうけど。たぶんこのたとえはおかしい。でも見えかたの違いって、簡単に言うとそういうことなんだろうなとわたしは思う。

なぜだかひとつ前の日記がたくさん読まれていて、昨日はずっとびっくりしていた。今まで来たことないはてなからのメールが来るし。pixivにあげてる文字よりも見られてるし。気持ちの悪いオタクのフェスとラッドに対する愚痴だったので申し訳ない気持ちになりながらツイッターを見た。読んだ人からの意見が肯定的なものばっかりじゃないってことは同人をしている上で重々わかっていることだったけど(今回のは文字でもないただの愚痴だし)久々によくわからないことを書かれてしまって友だちに助けを求めてしまった。そのツイートはわたしの意見のまとめじゃない。

その人にはその人の意見があるし、わたしにはわたしの意見がある。その人の見ている世界とわたしの見ている世界は違うってこともわかってる。わたしの書き方が悪かったところもあることもわかってる。わかっているけど、わたしは怒ったり悲しんだり悔しくなったりする。違うことには「いやそれ違うんですけど……」って言いたくなる。ので、完全に蛇足なんだけど、書きます。

基礎疾患をもつお子さんが福祉や医療に関わっているのは本当というか当たり前で、医療的ケアが必要なお子さんはもっと深く関わっているし、そうじゃないお子さんたちだって福祉や医療には関わっている。大人だって熱が出れば病院に行くし、妊娠したら医療だけじゃなくって福祉にだって関わる。ここらへんの細かいことは完全に専門外だし、わかんないけど、たぶんみんな生きてれば関わってる。すごく少なくとも一度は関わると思う。だからって、基礎疾患をもつお子さんによく関わるからって、福祉や医療の仕事をしている人「だから」フェスに行かない・行けないってことじゃない。みんな「行かない」って選択をしたほうがいいと思う。少なくともわたしはそう思う。

職場で隣の席の人とか、同僚とか、同じフロアで働いている人とか。学校でも同じクラスとか、隣の席とか、学食でたまたま近くに座った人とか、講義で隣になった人とか。そういった人たちには家族がいる場合が多いと思う。でも、その、自分が関わっている人たち、もしくは関わっちゃった人たち全員の家族構成やら持病やらを知ることはあんまりないと思う。

めちゃくちゃ仲いいです!なんでも話します!みたいな関係はそれでいいと思うけど、そんなに学校上だけの付き合いだとか仕事上での付き合いだとかで「実は基礎疾患があってさ」とか「子どもの心臓に疾患があって」とか、そういう込み入った話ってあんまりしないんじゃないかなと思う。職場の人の話だけど、娘さんが心臓に疾患があるけど、娘さんはそれを彼氏や友だちには話してない、ということを聞いたことがある。あんまり込み入った話ってそういう雰囲気にならないとしないし。わたしも自分から「精神科通っててさ」なんて話はしない。相手にいらない気を使わせちゃうかもしれないし。自分から話す人もいるとは思うけど、それは別件として。

その前提で、フェス行った!楽しかった!仕事・学校がんばろ!で行った人はいつも通りに過ごすとする。毎日変わりなく。それでなんの変わりもなく過ごせてたらいいと思う。でも、フェス行った人が媒体になって隣の席の人、もしくは関わっている人にうつして、その人が感染しちゃったってこともあるかもしれない。行った人が陽性になって、隣の席の人や関わった人も陽性になって……ってことだってあるかもしれない。どうなるかわからないので。それで、もしそこで陽性になった人の家族に基礎疾患があったら。家族が妊娠していたら。まだワクチンを受けることができないちいさなお子さんがいたら。病気の家族がいたら。なんにもなくても、その人の家族が亡くなってしまったら。残された家族がいたら。持ち込んだ人は「そんなこと知らなかった」になるかもしれない。「言ってないから知らなかった」になるかもしれない。

普段から基礎疾患を持つお子さんや医療的ケアが必要なお子さんと関わってなければ知らないかもしれない。でも、世の中にはそういったお子さんがいる。病院の中だけじゃなくて、保育園や幼稚園や、学校、家庭、学童や放課後デイサービスだとか。おんなじマンションにだって住んでるかもしれない。基礎疾患のことばかりだったけど、毎日どこかに出かけたいお子さんや、自分の中のスケジュール通りにいかないとパニックになるお子さんもいる。そういったお子さんが感染したら。お子さんじゃなくて、保護者が感染したら。お子さんは外に行けないと言うことでパニックになって、保護者は大変な思いをする。そういったお子さんや家族と、隣の席に座っている人が暮らしているかもしれない。

「いやコロナが全部悪いじゃん」って言うのはまあそうなんだし、コロナがなかったらこんなことにはならなかった。でもわざわざ自分から感染するかもしれない可能性が高い場所に行って、コロナになって、周りの人にうつすのは違うんじゃないかな、と思う。フェスに行かなかったら周りの人はコロナにならなかったかもしれないし。だから福祉や医療の仕事をしているから行けない・行かない選択をするんじゃなくて、自分以外の人間と関わる人間はみんな行かないほうがいいと思う。わたしも福祉や医療の仕事をしてないし。そうなると、もうフェス自体をやらないとか、無観客で有料配信のみにするとか、そういう手段をとったほうがいいと思う。感染させないために。

わたしがラッドを嫌いになったのも、フェスに来た人が感染して、ウイルスを散らして、そのせいでその人が、もしくは全く違うその人に関わった人が亡くなってしまうかもしれないから。その人がもしラッドのことが好きで、ラッドが見たくてフェスに来たとしたら。その人がコロナに感染してしまった原因のなかにラッドが含まれてしまう。少ないかもしれないけれど、その原因はある。そうなってほしくなかった。感染の原因をつくってほしくなかった。武田と桑ちゃんにはまだちいさいお子さんがいるのになあとも思ってしまう。

今回の日記のことを前回に書けばもっと違ったのかなあと思うけど、それに気づいたのが今日だったので今日書きました。なにかしらの支援が必要な人たちはもっと身近にいるし、関わっている人もたくさんいる。でも見てないし知らない人は知らないままなんだろうな。そういう気持ちで書きました。