海の日

地獄で生きる

十月九日

この三カ月で本当にいろんなことがあった。今年はほんとうにいろんなことが起こったしいろんなことを起こした年だったと思う。仕事がころころ変わったし、はじめて会う人も増えたし、友だちも増えた。はじめてツイッターのフォロワ―と旅行に行くこともした。いろんなことが起こっていろんなはじめてのことをして、いろんなことを起こした年だった。まだ二ヶ月あるけれど。

この三カ月で一番大きかったことはラッドのライブに行ったことで、わたしはうまれてはじめてあんなにちかくで野田洋次郎さんを見た。ステージは遠かったのだけれど、センステが近かったのだ。そこではじめてみた野田さんはとても美しかった。キラキラしていたし、とても楽しそうだった。あと大きかった。わたしはわりと背の高い人間なので、自分よりも大きな人間を見ると感動してしまう。そんなのごまんといるよと言われるけれど、身近にそんなに大きな人間はいないのでびっくりしてしまうのだ。そんなふうに見れた野田さんはとてもすごかったので、わたしはようやくラッドのライブ円盤を買い始めた。今まではなんとなく避けていたので買うのははじめてだった。2017年のツアーは、わたしが前にすきだった人と行ったライブだったので見ると泣いてしまうのであんまり見てない。2018年のツアーは行けなかったライブなのでうれしかった。そのほかは買ったけれどまだ見れていない。最近は時間があるのに長時間テレビの前に座って同じものを見るということができていない。どうしょもないなと思うけれど、なんでこうなってしまったのかはわからない。なので少しづつ見ているけれどどの野田さんもきれいで輝いていて美しいので野田さんはすごいと思う。来年もツアーがあったら行きたいなとほんとうに思うし、また近くで野田さんを見たいし、でもラッドのライブに行けるだけでいいかとも思う。ラッドはわたしが中学三年生のときに、わたしのことを人間にしてくれたバンドなのでいろんな感情がある。ほんとうにすきなバンドだし、たぶんこの先もずっとすきなのだと思う。そうであってほしい。

あとこの三カ月では仕事をやめて実家に戻って、実家の近くで仕事をしている。大丈夫だと思っていた職場はほんとうは全然大丈夫じゃなくて、毎日嫌味を言われて過ごしていた。精神疾患だと決めつけられたし(実際にわたしは精神疾患ではあるのだけれど)、手首に傷があるという理由で真夏なのに長袖を強要されたり、ほんとうに「昔いろいろあったんです」と笑わなくてはならなくなってしまった。でも実際にその立場になったとき、わたしは「昔いろいろあったんです」と笑えるような人間じゃなかったことを知った。そんなことは言えなかった。なんにも言い返せなくて、ただへらへら笑って長袖を着ていた。こんなのおかしいよなって思ったけれど、世間一般はそう言う認識なのかとも思った。手首に傷がある人間は精神疾患で、その傷は見せてはいけなくて、そのためには暑い中でも長袖を着なくちゃいけない。そのときにぼんやりと、大学にいた教授が「手首の傷は汚い」と言っていたことを思い出して、そういえばあの人間もおんなじことを言っていたなと思った。手首に傷がある高校生がバイトをはじめて、その店長に長袖を強要されたと相談した際に「手首に傷があるのに辞めさせないのは店が偉い、手首の傷は汚いのだから」と言ったと自慢げに話していた。言われた子どもは大丈夫だろうかと時々思うことがある。わたしの知らないところで幸せに生きていればいいけれど、直接言われたわけではないわたしでさえこんなふうに思ってしまうのだ。その子は違うかもしれないけれど、もしかしたらこころのどこかに刺さったままになっているかもしれないと思ってしまう。

そんなこんなでいろいろあった。今は秋なので長袖を着ているけれど、職場は夏でも寒いので長袖を着ている。それはもしかしたら前の職場で言われたことがこころにのこっているからかもしれない。でもわたしが悪いのかもしれない。よくわからなくなってしまった。とりあえず明日はピアスを開けて、来年は推しのライブがあるのでそれまで元気に生きなくてはいけない。つづく。