海の日

地獄で生きる

好きだったバンドを嫌いになった話

好きだったバンドの話をします。

 

RADWIMPSのことが大好きだった。

はじめて聞いたとき、わたしは14歳で、飛行機の中だった。そこで流れていたのは「25コ目の染色体」だった。

聞いた瞬間に、すぐに好きになった。着いた先で最初にしたことは、CDショップに行って、そのシングルを買うことだった。何回も聞いた。アルバムも買った。トレモロが好きだった。有心論は何回聞いたかわからないし、マニフェストはわくわくしながらCDを受け取って、すぐに聞いた。大学生になって、ライブにも行った。はじめて見るラッドは、キラキラとして、輝いていた。それから毎回応募して、当たればライブに行っていた。いけないときはインスタやツイッターに上がる写真を心待ちにしていた。新海誠さんの映画音楽に使われることが決定した時は、不安もあったけど、嬉しかった。映画も何回もみた。オーケストラコンサートも、とてもよかった。また映画音楽をやると言ったときも、とても嬉しかった。映画のことも大好きになった。上映終了した後は、円盤を買ってなんべんもみた。

ほんとうに大好きだった。一番大好きなバンドだった。SNS野田洋次郎が燃えていても、大好きだった。でもすこしずつおかしくなった。優生思想のときは「それはおかしい」と思った。コロナへの発言ではすこし嫌いになった。なえなのさんとのインスタライブも、15周年のライブのときも、すこしずつ嫌いになっていった。嫌いになっていくたびに、それでも大好きのほうがおおきかった。新曲が出れば予約をして、買って、聞いて、大好きだった。アルバムが出ることも嬉しかった。楽しみだった。今は出かけられないから、出かけたときに予約をしようと思っていた。

だってわたしのことを救ってくれたから。大好きだったから。音楽を聞くきっかけを作ってくれたから。狭かった視野を広げてくれたから。ラッドをきっかけにして友だちが増えたから。いつもそばにあったから。いつも聞いてたから。

でももうだめになった。

今以上に嫌いになりたくなかったから、最近はツイッターのフォローをやめていた。フジロックに出ると言うことを知ったのも、つい最近のことだった。最初は嘘かと思った。でも本当のことだったので、辞退すると思った。関東も新潟も、感染者数も重症者数も増えている。そんな中で対策をしっかりとっているし野外だと言っても、フェスなんてやるもんじゃないだろうと思っていた。年越しのフェスに行ったことがあるからなんとなくわかるけれど、あそこは人がぎゅうぎゅうになるところだった。そこでマスクをしていたところで、絶対になにかが起こる。出演者は免れても、観客は感染してしまうだろう。そう思った。

でもラッドが辞退することはなかった。フェスも中止されなかった。配信を見ることはできなかった。Mステを見ることすらできなかった。ここで配信なりテレビなりを見て、ラッドのことを今以上に嫌いになるのが怖かった。今見たら絶対に嫌いになると思ったから。でもインスタを開いて、全く関係のない好きなモデルさんのストーリーを見て、そこにあった配信画面のスクショでもうだめだと思った。そこにいたのはラッドではなく、くるりだった。これでまだバンドだけを映しているスクショだったら大丈夫だったかもしれないけれど、そこにあったのは観客ごとくるりを映したものだった。そこにはコロナ前に参加したフェスと変わらないくらいの人がいた。

唖然とした。ストーリーをとばすのも忘れて、その画面を見た。いつのまにか違うものになっても、頭に残ったのはそのスクショだった。ぼんやり画面を見ながら、わたしのなかでなにかがだめになったのがわかった。

そのあとはフジロック関係のツイートを探して見た。見たものを、なんとか見間違いだと思いたかったのかもしれない。でもそこにあったのはたくさんの人の写真、マスクをしないではしゃいでいる人の写真、お酒を飲んでいる人の写真、複数人で居酒屋で飲んでいる写真、たくさんの人がぎゅうぎゅうになって音楽を聞いている写真だった。

ラッドのインスタも見た。写真があがっていた。「ありがとう」と書かれていた。それを見て、もうだめだと思った。

今まで何度も炎上してきたのを見ていた。そのたびに嫌いになれなかった。フェスだって、どこかで、大人の事情でしかたなく参加したんだって思いたかった。感染対策もちゃんとしてるんだと思ってた。ラッドのこと嫌いになりたくなかった。今まで全部、わたしのなかでうまい落としどころを見つけてきた。でも今回はだめだった。どこにも納得できるものがなかった。フジロックを配信で見ている人のことも嫌いになった。出演者すべてを嫌いになった。フェスというものも嫌いになった。擁護している人も嫌いになった。参加者も嫌いになった。許せなくなった。ラッドの曲が流れてきて、耐えられなくてとばしてしまった。ラッドの曲を全部消してしまった。苦しくて泣いた。嫌いになりたくなかったから。だいすきだったから。でももう無理だった。

すこし冷静になった今から考えれば、妬みだったのかもしれない。好きな映画もみれない。みたかった映画もみれない。みたかった舞台も、展示も、カフェにも行けない。近所のスーパーでさえ怖いのに、画面の向こうでは自分の好きなことをして楽しそうにはしゃいでる人間のことが羨ましかったのかもしれない。妬ましかったのかもしれない。でももう全部嫌になった。もう好きになれない。曲も聞けない。顔を見るのも、バンド名を見るのも嫌だ。顔を見るのも嫌だ。ファンだという人のツイートも嫌だ。グッズを見るのも嫌だ。全部嫌になった。許せなくなった。出演者もスタッフも参加者も、楽しかった思い出を持って各地に帰るんだろう。そこでコロナになるかもしれない。誰かにうつすのかもしれない。そのとき何を考えるのかはわからない。他人だから。

話が変わるけれど、わたしの職場には基礎疾患を持つ子どもたちが沢山いる。聞いたこともないような病気の子や、心臓に疾患をもつ子や、風邪で入院しなければならないような子もいる。その子たちがもし、万が一、コロナになってしまったら。そう考えるとどうしたらいいのかわからなくなる。現に、コロナ前に風邪をひいて亡くなってしまった子もいる。そういう子どもたちと仕事をしている。

出演者もスタッフも参加者も、フェスを楽しんで、楽しいまま新潟から各々の住んでいるところに帰って、生活をするんだろう。映画をみに行くかもしれない。コンビニに行くかもしれない。学校に行くかもしれない。職場に行くかもしれない。スーパーで買い物をするかもしれない。それはコロナを持ったままかもしれない。風邪だと思っているだけで、実際はかかっているのかもしれない。それで、名前も知れない他人にうつしているのかもしれない。

もしその名前も知らない他人に基礎疾患があったら。家族に要看護の人がいたら。基礎疾患を持つ家族がいたら。生まれたばかりの子どもがいたら。重症になってしまったら。亡くなってしまったとしたら。責任は誰がとるんだろう。誰もとれないと思う。だから嫌になった。許せなくなった。

文字を書いているとき、ずっと手が震えていた。涙が止まらなかった。ラッドの曲を全部消したのに、流れてくるかもしれないと思った。楽しかったのも嬉しかったのも全部ある。嫌いになりたくなんかなかった。ずっと好きでいたかった。一番だと思ってた。この日記にも、ラッドのライブに行ったことが書かれていた。途中まで読んで、読めなくなった。2019年の宮城で、指をさしてもらったことを思い出した。あのときはこころの底から大好きだった。

16年ありがとうございました。