海の日

地獄で生きる

二月十一日

どうしようもできないことは世の中にごまんとあって、今日は高校生のときの夢を見た。まわりの環境は今のままだけれど、同級生もみんな高校生のときのままで、わたしは高校のときに仲のよかった友だちと一緒に油絵を描いたりキャンバスを先生の目を盗んで取って行ったりしていた。同級生の子もたくさん出てきて、とても懐かしかった気がする。そのなかでわたしは高校三年生の途中から苦手になってしまった子のラインを聞くか聞かないか悩んでいて、今になってはそんなことどうしようもできないし、その子の連絡先を一切知らないので聞くことすらできないことを起きたときにふと思って、それからずっと今日はそのことばかり考えていた。どうしようもできないことが多すぎる。

最近は毎日安定剤を仕事前と仕事中に飲む生活をしていて、こんなんじゃだめだしっかりしないと、普通にならないとと思っているのにどうしようもできない。毎日頭のなかで誰だかわからない人がしゃべっているし、サイレンは鳴っているし、ときどき鳴ってもいない着信音とか通知音が鳴っている気がしてなんべんもスマホを見てしまう。薬を飲んでもどうしようもできないのでお医者さんに言うしかないのだけれど、診察は来月なので今はぼんやりとはやく来月になるのを待つしかない状況で暮らしている。薬があってようやくこの生活で、薬を飲まないで生きていた高校生とか大学生とかのころはどうやっていたのだろうと思ったけれど、あのころは自傷があったのでどっちもどっちだな、と思った。まだすこしの差で薬を飲んでいる今のほうがいいかもしれない。

いっそのこと高校生のときに死んでおけばよかったんじゃないかと思うときも時々あって、だからと言って今からじゃどうしようもできないのでだらだら生きている。高校生のときのわたしはどんなことを思って生きていたのか今じゃ全くわからない。一年生のはじめのころはとても楽しくて、精神はおかしかったけれどなんとかやっていたと思うけど一年生の終わりくらいから三年生のはじめくらいまでの記憶がごっそりないので、たぶんそのあたりで本格的におかしくなったんじゃないかな、と思った。今思い出してもどうしようもできないんだけど。あのときああしていればきっともっとうまくやれたんじゃないかって思うことがたくさんある。そうすればきっと今みたいな生活ではなくて、もっとちゃんとした、まともな生活だったのではないかと思ってしまう。きっとこれからもこうしてしなかった未来について考えていくんだろうなと思うし、でもそれが不幸なことなのかわからないままだ。

そんなこんなで最近は精神が落ち着かない。だめだだめだと思っていろいろなことをしようと思うけどうまくいかない。職場でもいろいろあるし、頭のなかで聞こえる声にも悪口が混ざりだしてこれはだめだな、と思う。だめだな、と思うのに解決方法もわからない。八方ふさがりのなかで、でも来月は推しのライブで、五月にはラッドのライブもあるのでなんとか生きています。生きてさえすればいいので。つづく