海の日

地獄で生きる

憎しみについて

※すべてが個人の意見です

 

ばあちゃんは、ばあちゃんが信じていた宗教に殺された。

本当は違うかもしれない。でもわたしのなかではそうなっている。ばあちゃんは確かに末期の肺がんだった。肺がんで死んだ、というのがほんとうかもしれない。でもわたしのなかでは確かに「ころされた」のだ。

ばあちゃんはずっとおんなじ新興宗教を信仰していた。わたしやお母さんには無理強いすることはなかったけれど、毎朝毎晩「お祈り」をして、時々宗教の本部に行って強めの「お祈り」をしたり、お札やお守りをもらってきていた。そのお守りをわたしやお母さんに渡していた。お守りをつけることは強要しなかった。わたしが風邪をひいたときは、念が込められているというお菓子をひとかけら食べさせていた。わたしはそれら全部が嫌いだった。

これと言って、嫌いになる明確な理由はなかった。けれど、物心ついたときからばあちゃんがなにか言いながら「お祈り」をする姿や、熱でうつろになっているときに食べさせられたお菓子の味が嫌いだった。もらったお守りはどこかにしまい込んで、見えないようにしていた。きっとまだ実家のどこかにあるのだろう。「かみさまの部屋」と言われていた、神棚がある部屋が嫌いだった。見ないように、見えないように、わたしはその宗教と一線を引いていた。お母さんもそうだったと思う。

それが変わったのは、わたしが高校生になったときだった。

ばあちゃんに肺がんが見つかった。毎年レントゲンを含んだ健康診断を受けていたはずだったのに、心臓の裏にちょうど隠れて見えなかったのだという。見つかったときはもう末期だった。即入院だった。バタバタと物事が進んで、それと同時に、じわじわとわたしの家族に宗教が入り込んできた。

いままであまり関わりのなかったはずの近所に住んでいる、同じ宗教を信仰しているという人が、いつのまにかわたしたちに近づいていた。わたしがそれに気がついたのは、もうわたしたちのなかに入りこんだ後だった。ばあちゃんは治療を受けながら、よくわからないお酒を体につけていた。一目見て、これは宗教のものだとわかった。実際にそれは宗教のものだった。いつのまにか入りこんでいた、近所に住んでいるひとが持ってきたのだろう。

効くはずがないと思った。実際に、お母さんに「何の意味があるの?」と聞いたこともある。お母さんは「ばあちゃんの気がまぎれるならそれでいいよ」と言っていた。それならしょうがないかと、そのときはなんとか気持ちを落ち着かせた。けれど本当は違っていて、近所の人は「これでがんが消える」と言っていた。それを知ったのは、ばあちゃんが死んだ後だった。

消えるわけがないんだ。そんなんで消えるなら病院も薬も治療もいらない。宗教でなんでも治せるなら、コロナだってここまで流行ってない。なんにもできないくせに、嘘をつかれた。ばあちゃんがそれを嘘だと思っていたかは知らない。なんとかすがりたかったのかもしれない。お母さんが言っていたように、気を紛らわせたかったのかもしれない。結局治療は途中でやめて、ばあちゃんは家に帰ってきた。よくわからないお酒を体につけることだけは続けて、家に帰ってきてから一週間後に死んだ。

病院にいたらもっと生きれたかもしれない。そう思った。わたしはばあちゃんに少しでも長く生きていてほしかった。あの、意味のわからない宗教に頼らないでほしかった。あれがなければずっと治療を続けていたのかもしれない。そう思うと腹が立った。はじめて人間をここまで憎んだ。そのとき、ばあちゃんは、ばあちゃんが信仰していた宗教に殺されたのだと思った。それしかありえないと思った。

ばあちゃんが死んでも他の人から見たらただの高齢者なので、わたしは学校に行かされた。その間にだったか、どこだか、わたしがいないときに近所の宗教の人がお母さんに近づいていた、らしい。お母さんはいつのまにか、その新興宗教にのめりこんでしまった。

ばあちゃんがやっていた「お祈り」をするようになった。お札が玄関にあるようになった。家の中に宗教のカレンダーが飾られるようになった。一か月に二、三回は宗教の本部に行っていた。わたしの名前も勝手に書かれた。近所の宗教の人が家に来るようになった。

許せなかった。許せなくて、何度も宗教をやめてくれと頼んだ。わたしにとってはその宗教がしていることは人殺しだ。近所の宗教の人にも、もう来るなと言った。でも宗教をやめてはくれなかった。近所の宗教の人も、なんべんも来た。

もうだめだと思った。わたしが死ねばいいのかとなんべんも思った。安定剤を一気に大量に飲んで何度も倒れた。手首や太ももを何度も切った。血が沢山出て、このまま死ねると思った。死ねなかった。でもそうすれば、そうすればさすがに洗脳されているお母さんだってわかってくれると思った。でもわかってもらえなかった。わたしが死ななかったからかもしれない。お母さんは、人殺しの宗教のことをずっと信仰したままだった。ばあちゃんのことを殺した人間のことを信じていた。

きっともう、わたしのことはどうでもいいのだろう。お母さんには宗教しかないのかもしれない。もういっそ近所の人を、と思って、何度も実行しようと思って、できなかった。それよりもまだわたしが死んだほうがましだろうと思ったからだ。

ばあちゃんが死んで、わたしも死ねば、さすがに洗脳も覚めるだろうと思う。人殺しを擁護するようなこともないと思う。そう思って病院に行って、全部話して、もうなんでもよくなってしまった。今はもうわたしが死ぬことによってお母さんの洗脳が解けるなら今すぐ死んでもいい。もう疲れてしまった。11年間、人殺しに苦しめられているのだ。頭がおかしい。狂ってる。人をだまして、殺して、のうのうと生きている人間が信じられない。人殺しのくせに。