海の日

地獄で生きる

十月十三日

仕事を辞めた。九月の上旬だった。安定剤の飲みすぎで縁石に乗り上げてタイヤが破損、通っていた精神科の主治医からも母親からも「入院しなさい」と言われ、しかたなく仕事を辞めた。九月の、友だちの誕生日の日だった。

結局「人の入った風呂に入りたくない」のと「「わたし(ぼく)こんな悲しいことがあったんです」って話さなくちゃいけない場があるところになんて入院できるわけがない」というわがままで入院は無しになったが、その代償として精神科を変えさせられ、九月の記憶がほとんどない。なので、なぜそんなに安定剤を服用しながら仕事をして自損事故を起こしたのかの記憶がない。同居人が一回目のワクチンの副反応で苦しんでいた、熱が出たんだ、というのも記憶がなく、どうやって看病したのかもわからない。

九月はわからないことだらけだ。

病院は変わったが、まあまあいいところに転院になったのでわたしにとってはいいことだった。前の病院には七年通ったが、結局病名を教えてくれなかったのであまり好きではなかった。今のところは「わかったら」教えてくれるらしい。その先生が言うには、「精神の病気はいろんなことが複雑に絡み合っているのでその場で「はいこれです」って言えないんだよ」と穏やかな口調で言っていた。そういうものなのか? と思いながら聞いていたけれど、わたしはずっと泣いていたので「そうですか」としか言えなかった。病院ではいつも泣いてばかりいる。

記憶がないのは九月だけではなくて、本当は大学以前のこともあいまいだ。時々覚えていることがあるが、それだって「なんでそこ覚えてるんだろうね」ということばかりで、基本の思い出は写真の中にしかない。多分高校までの記憶は両手で数えられるくらいしかないんだろうと思う。それが毎日が単調だったからか、思い出したくもないからなのかはわからない。病院の先生には「九月はきっと単調に日々が過ぎてたからでしょうね」と言われたけれど、そんな単調だったのかなあと思う。昔の記憶がないことは、「あまり思い出さないようにしましょうね」と言われた。しまっとけと言うことらしい。思い出したらきっとそこでわたしの精神のなにかが壊れるんだろうなとは思う。

そんなことがあって、でもなんとか生きているのできっとこれからもこうやって運だけで生きていくんだろうなと思う。仕事を辞めたので本当はもっと忙しく仕事を探さなければならないのだけれど「半年はゆっくりしてね」と前の主治医に言われたのでのんびりしようと思う。最近は本を読んで過ごしています。つづく。